「潮どき」を悟った一番…貴ノ花親子との因縁

 引退の伏線は、張られていた。

 後の会見で千代の富士はこう明かしている。「昨年の十一月ごろ、この辺が限界かなと思った」「やることはやった。もう万全の体には戻らない」。引退の半年前には、もう自分の体が下り坂にあることを静かに受け止めていたのだ。

 そして迎えた1991年夏場所初日。千代の富士の前に立ったのは、当時18歳の貴花田(後の横綱・貴乃花)だった。

 この二人には因縁がある。話は11年前にさかのぼる。

 1980年九州場所。三役に定着し「次は大関か」と声がかかり始めた25歳の千代の富士は、30歳の大関・貴ノ花をあっさりと破った。千代の富士に禁煙を勧めてくれた、あの先輩だ。

1980年の九州場所、寄り切りで貴ノ花を破った千代の富士(写真:共同通信社)

 この一番がきっかけとなり、名大関・貴ノ花は翌場所で引退。一方の千代の富士は、貴ノ花が引退したこの場所で優勝決定戦を制し、初優勝と大関昇進を同時に手に入れた。貴ノ花が土俵を去り、千代の富士が駆け上がった。世代交代の一番だった。

大関・貴ノ花の断髪式でハサミを入れる大関・千代の富士(写真:産経新聞社)

 その貴ノ花の息子が、11年後、今度は千代の富士の対戦相手として土俵に上がった。結果は貴花田の寄り切り。千代の富士は終始後手に回り、若武者の勢いに屈した。

「思い出の相撲は?」と聞かれた千代の富士は、迷わずこの取組を挙げた。

「若い、強い芽が出てきたな、ちょうどいい潮どきだなと思った」

1991年5月場所、千代の富士を破り金星獲得の史上最年少記録をつくり花道を引き揚げる貴花田(写真:共同通信社)

 2日後の3日目、貴闘力にも敗れて引退を決意する。実はその前夜、妻の久美子さんにだけ気持ちを伝えていた。「明日負けたらやめるから」。久美子さんの返事は、ただ一言。「そうですか」。長年連れ添った夫婦の間では、もう多くの言葉はいらなかったのだろう。