首相となって初めての記者会見に臨む田中角栄。1972年7月19日、首相官邸にて(写真:共同通信社)
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 田中角栄ほど引き際を間違えた政治家はいないのではないだろうか。彼には、少なくとも三度、政治生命に自ら幕を下ろす機会があった。1976年の逮捕、1983年の一審の有罪判決、そして1985年の脳梗塞。

 だが、彼は、その全ての機会を拒絶し、権力の座にしがみつこうとした。単なる権力欲ではなく、「自分にしかできない」という使命感と、「まだ終わっていない」という執念が入り混じった、複雑な心理の産物だった。

逮捕をきっかけに闇将軍へ

 1976年2月、アメリカ上院でロッキード社の秘密工作資金が暴露されても、田中は逮捕を免れると信じていた。総理大臣経験者が捕まるわけがない。

 だが、その確信は5カ月後の7月27日、東京地検特捜部による逮捕という形で打ち砕かれた。日本史上初めて、現職中の犯罪で元総理大臣が逮捕された瞬間だった。

逮捕され、東京拘置所に護送される車中の田中角栄前首相(中央)=1976年7月27日(写真:共同通信社)

 ここが、田中にとって最初の引き際だった。

 普通の政治家ならば、「逮捕」の屈辱をもって政界を去っただろうが、田中は違った。皮肉なことに、逮捕後も田中への忠誠心や求心力は衰えず、逮捕前に70~80人だった田中派は、1981年までに150人を超える巨大派閥へと成長していた。自民党議員の3分の1以上を支配下に置き、「闇将軍」として日本政治を裏から操る存在となった。