高麗山城 撮影/西股 総生(以下同)
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(歴史ライター:西股 総生)

はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回は神奈川県の高麗山城をご紹介します。

相模平野への進出を図った北条早雲

 平塚駅を出て西に向かう東海道本線が花水川の鉄橋を渡るとき、右手に凸型をした山が見える。これが高麗山(こうらいさん)で、標高は168メートル程度だが何せ特徴的な山容なので、3キロほど北を走る新幹線の車窓からも、はっきりと視認できる。

 なぜ、高さの割にそんなに目立つのかというと、余綾(ゆるぎ)丘陵が相模平野に突出する先端部にあたっているからだ。そして、周囲からそれだけ目立つということは、山の上からの眺望が優れているということでもある。

南東側の花水川対岸から見た高麗山城。なかなかの要害地形と見受けられる

 戦国の初期、そんな山に城を求めた武将がいる。伊勢宗瑞、俗にいう北条早雲である。伊豆を掠領し小田原を手中におさめた宗瑞は、当然のごとく相模平野への進出を図る。その頃、関東を治めていた体制は古河公方、管領の山内上杉家、その分家である扇谷上杉家とに分かれ、泥沼の抗争を繰りひろげており、相模は扇谷上杉家の領国だった。

 とはいえ、えいやと斬り込む宗瑞ではない。彼の戦略は、徹底して「隙を衝く」ことにあった。古河公方と両上杉家が複雑な抗争を続けておれば、どこかに必ず隙や綻びが生じる。それを見逃さないのが、この狐目の男なのである。

城へは麓の高来神社から登る。かつてこのあたりには高麗寺という古寺が栄えていた

 はたして永正6年(1509)、扇谷家の宿老である上田蔵人が、武蔵の権現山(横浜市神奈川区)に拠って主家に叛旗を翻した。すでに上田と気脈を通じていた宗瑞は、これを援護するという名目で相模平野に兵を進める。

 このとき取り立てたのが高麗山城と、その北麓にある住吉要害だった。両城のうち、住吉要害は平地に土塁と堀をめぐらした造りだから、そちらが兵や物資を集結するための作戦基地で、高麗山の方は見張り場と詰城を兼ねた山城であったろう。

急坂を登ってゆくと小さな平場が何段かある。警戒の兵を置いていたのだろう

 高麗山城へは、高来(たかく)神社の裏手から山道を登る。神社の隣には慶覚院という寺があるが、明治の神仏分離以前は高麗寺(こうらいじ)という神社と一体の寺院で、その起源は古代に渡来人が住み着いたことに遡る。高麗山の山麓に神社と寺があり、山上にも堂宇が建っていたから、宗瑞は山岳寺院を利用して城を築いたわけである。山の上には最初から平坦地や建物があるのだから、見張り場と詰城を兼ねた程度の山城を取り立てる分には、さして手間もかからなかったろう。

山頂の「大堂」と呼ばれる場所が主郭だ。背後に見える高まりは土塁ではない

 神社からの山道は、地元の人が散歩で登るような道だからしっかりしているが、山の立ち上がりが急なので、楽ちんではない。しばらく登ると、小さな平坦地が何段かある。哨兵を数人ずつでも出しておき、急坂を登ってくる敵に矢を射かけたり石を投げたりしてサッと引きあげる、みたいな防戦をすれば効果大であったものと思う。

 たどり着いた山頂には、なるほどお堂が建っていた跡がある。背後が土塁みたいに見えるが、お堂を建てるときの削り残しで土塁ではない。山頂は木々に覆われているものの、木の枝をすかして得られる断片的な眺めからすると、相模平野どころか三浦半島から相模湾、伊豆半島、伊豆諸島までをも一望できたことがわかる。しかも眼下を東海道が通っているのだから、要害そのものではないか。

主郭背後の痩せ尾根を遮断する1本目の堀切
2本目の堀切はだいぶ埋まっているようだが両側が竪堀になっているのがわかる。トップの写真は3本目の堀切

 山頂から裏手の尾根を進むと堀切の跡が3か所あって、3本目の堀切はなかなか大きい。このほか、北東に下ったところに「寺窪」という平坦地があって、やはり縁が土塁のように見えるけれども、古い僧坊の跡で城の遺構ではない。北東側の東天照という堂跡につづく尾根にも、両側に竪堀を入れて尾根幅を狭めた跡がある。

「寺窪」と呼ばれる平場。縁は土塁のように見えるが僧坊として均した際の削り残しだ

 宗瑞が高麗山城を築いた翌永正7年(1510)、扇谷軍は反撃に出て権現山城を屠り、高麗山・住吉の両城も追い落とした。宗瑞の意図は挫折したかに見えたが、彼は別に何かを失ったわけではない。その後も宗瑞は「隙」を衝きつづけ、2年後には岡崎城を陥れて相模平野への進出を果たすことになる。

[行き方]平塚駅北口3番乗場から平47・48系統バス(大磯・二宮方面行)で花水下車。なお、高麗山城の所在地は神奈川縣中郡大磯町。

※1月4日掲載の「伊勢宗瑞に落とされた相模岡崎城、戦国初期の城の特徴が詰まった、とらえどころのない城域をのんびり歩く」をご参照いただけると、より理解が深まります。