(歴史ライター:西股 総生)
「碑ペロ」「板ペロ」とは
たいがいの城には、城の名前や概要を記した説明板や城址碑、標柱などが立っている。石垣や堀・土塁といった遺構はほどんど残っていなくて、石碑や説明板だけが淋しそうに立っている城もある。
城や史跡を訪ね歩く人なら、そんな石碑・説明板を写真に撮ることも多いだろう。いや、土塁や堀は残っていることは残っているのだが、藪っぽかったりしてあまり写真映えがしないので、SNSには結局、石碑や説明板の写真をアップしてしまう……そんな経験をお持ちの方、きっといると思う。
そんな人たちがSNSなどにアップした写真を見ていると、石碑や説明板を画面の真ん中にぺろんと写しただけの、何とも芸のない写真が多い。筆者は、こういう写真をこっそり「碑ペロ」「板ペロ」と呼ぶことにしている。
スナップや記念写真を撮るとき、人物の顔を画面の中央に配したために、しまりの無い構図になってしまうのを、俗に「日の丸構図」という。「碑ペロ・板ペロ」写真は、「日の丸構図」のオンパレードである。
これで、よいのだろうか。城址碑や説明だって、もっとカッコよく撮ってあげてもいいんじゃないか、というのが本稿の趣旨である。
城とは本来、広がりを持った空間である。けれども、石碑や説明板は「点」でしかないから、「碑ペロ」「板ペロ」写真には空間としての広がりが感じられない。それに、そもそも石碑や説明板は「城そのもの」ではない。にもかかわらず、なぜ日の丸構図の「碑ペロ」「板ペロ」が横行しているのか。筆者は、「碑ペロ」「板ペロ」蔓延の元凶は、出版業界にあると睨んでいる。
歴史の記事に添えられる城の写真というと、まず天守が出てくる。天守の写真を載せた方が、読者に一発で城だとわかってもらえそうだから、コンクリでも模擬でもインチキでも、とにかく天守の写真を載せたがる。武田信玄が北条氏の籠もる小田原城を包囲した、という記事に小田原城のコンクリ天守閣の写真が添えてある、なんてのは、「歴史記事あるある」だ。
ところが、全部の城に天守が建っているわけではないから、天守のない城は櫓や城門の写真を載せることが多い。どんなに石垣が立派で縄張の優れた城でも、コンクリの模擬櫓が建っていれば、石垣ではなく櫓の写真を載せる。天守の代用品を求めているからだ。
これが、建物の残っていない土の城になると、なぜか城跡に建っている神社やお寺の写真が使われたりする。土塁や空堀の写真を載せて、読者に戦国の城をイメージさせられるかどうか、考える以前に、天守の代用品→櫓→櫓もないなら何かしら建物、という安易な発想で、社殿・お堂が被写体に選ばれてしまう。
もう、おわかりですよね。石碑や説明板が被写体に選ばれるのは、天守の代用品を求めた結果なのだ。遺構より空間の広がりより、「立っている何か」の絵がほしいのだ。日の丸構図の「碑ペロ」「板ペロ」がつまらなく感じられる理由も、これでわかる。
「碑ペロ」「板ペロ」写真には、城に対する愛情が感じられない。何をどう撮っていいかわからないから、とりあえず石碑でも撮っておくか。説明板くらいしか撮るものがないから、撮っておく。そんな、「でもしか」な「碑ペロ」「板ペロ」からは、城に向き合う姿勢も、城を城として写そうという工夫も、伝わってこないのだ。(つづく)