石橋山古戦場 撮影/西股 総生

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

単なる歴史のドラマ化ではない「大河ドラマ」

『鎌倉殿の13人』、いかがでしたか?

 僕は、「中世軍事考証」という立場で、ドラマ作りのお手伝いをさせていただきました。そこで連載のしめくくりとして、大河ドラマに携わった立場から、まとめと展望を少々、書いてみたいと思います。

 まず、皆さんに再確認していただきたいことがあります。それは、大河ドラマは「歴史をドラマ化したものではない」ということです。だって、タイトルがそもそも「大河ドラマ」。「歴史」なんて一言もうたっていません。

 長い時間の流れを一年間通してじっくり描くドラマだから、「大河ドラマ」。つまり「大河ドラマ」とは、「歴史をドラマ化したもの」ではなく、あくまで「歴史に題材をとったドラマ」なのです。そして、テレビドラマはエンタテインメントですから、本質的にはフィクションと考えるべきです。

 とはいえ、歴史に題材をとっている以上、あまりに荒唐無稽では視聴者の共感をえられません。そこで、「考証」という手続きが必要になってきます。つまり、エンタテインメントであり本質的にフィクションであるドラマに、リアリティを担保するのが「考証」の役目というわけです。

会津若松市・スナイドル銃を手にした新島八重像

 そもそも鎌倉幕府の成立は、今から800年も前のできごとです。このくらい昔だと、人々の価値観や行動原理、感情表現などは、現代人とはかなり違います。となると、歴史を忠実にドラマ化しても、現代人には共感も感情移入もできないでしょう(ごく一部の歴史オタクは喜ぶでしょうが)。これでは、エンタテインメントになりません。

 なので、登場人物たちのキャラクターや行動原理、感情表現などを、現代のわれわれが共感できるように設定しなければなりません。ゆえに、大河ドラマは本質的にフィクションとならざるをえないのです。

巌流島に立つ宮本武蔵と佐々木小次郎の像

「中世軍事考証」の立場からいうと、この時代の合戦を正確に再現することは、技術的にもコスト面からも不可能です。撮影現場の労働安全衛生という観点からも無理があります。何せ、合戦というのは人が死んだり傷ついたりするものですからね。それに、あまり血なまぐさいシーンを、日曜日の夜にお茶の間にお届けするわけにもゆきません。

 そうした条件を前提として、何千万人という一般の視聴者に、江戸時代や戦国時代とは違う「鎌倉時代っぽさ」を感じてもらうには、どうしたらよいか。制作側と相談しながらアイディアを出してゆくのが「中世軍事考証」の仕事、というわけです。

静岡駅前に立つ竹千代像

「大河ドラマ」は「歴史をドラマ化したもの」ではなく「歴史に題材をとったドラマ」といった意味が、おわかりいただけたでしょうか?

 とはいえ、大河ドラマが歴史への興味の入り口となって、日本人の歴史的素養を下支えしているのも、また事実です。学校で習った無味乾燥な歴史が、大河ドラマによって生々しいものに感じられた、という人は多いのではないでしょうか。

 かくいう僕も、その一人。大河ドラマによって歴史への興味をかき立てられ、歴史研究の道へと進むことになりました。いえ、実は、歴史研究者の中には大河がきっかけとなった人がけっこう多く、研究者同士の気のおけない飲み会などでは、大河ネタで盛り上がることもしばしばです。

 では、専門家ではない普通の人たちが、歴史に触れることの意義はどこにあるのでしょう?

※続きは「鎌倉殿の時代(50)歴史から何を学ぶか?」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73078)をご覧ください。

 

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