伊勢宗瑞が欲した相模平野の展望台「高麗山城」、泥沼だった関東の体制の「隙を衝く」ための要害はどこがすごいのか 高麗山城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/8) 南東側の花水川対岸から見た高麗山城。なかなかの要害地形と見受けられる (画像2/8) 城へは麓の高来神社から登る。かつてこのあたりには高麗寺という古寺が栄えていた (画像3/8) 急坂を登ってゆくと小さな平場が何段かある。警戒の兵を置いていたのだろう (画像4/8) 山頂の「大堂」と呼ばれる場所が主郭だ。背後に見える高まりは土塁ではない (画像5/8) 主郭背後の痩せ尾根を遮断する1本目の堀切 (画像6/8) 2本目の堀切はだいぶ埋まっているようだが両側が竪堀になっているのがわかる。トップの写真は3本目の堀切 (画像7/8) 「寺窪」と呼ばれる平場。縁は土塁のように見えるが僧坊として均した際の削り残しだ (画像8/8) 伊勢宗瑞が欲した相模平野の展望台「高麗山城」、泥沼だった関東の体制の「隙を衝く」ための要害はどこがすごいのか この写真の記事を読む