身請けからの瀬川のその後

 現実の世界では、瀬川の身請けから3年後の安永7年(1778)7月、借金の返済に行き詰まり、旗本の森忠右衛門夫妻と、その子・虎太郎夫妻の4人が、出奔するという事件が起きている。

 その後、森忠右衛門・虎太郎父子は自首し、取り調べにあたり、座頭金の高い金利や厳しい取立の実態を白日の下にさらした。

 すると、鳥山検校らが一斉に検挙され、鳥山検校には遠島の処分が下された。

 瀬川は鳥山検校と別れて、飯沼某という武家の妻となり、二人の子を産んだ。

 夫が亡くなると、大工の結城屋八五郎と通じて妻となるも、最後には尼になったと伝えられる(以上、伊原敏郎著 河竹繁俊・吉田暎二編集『歌舞伎年表第4巻(明和三年-天明四年)』)。

 なお、鳥山検校は寛政3年(1791)に、帰官している。

 ドラマの瀬川と鳥山検校の関係は、どのように描かれるのだろうか。

 瀬川と鳥山検校も、幸せになってほしいと願うばかりである。