図1『青楼美人合姿鏡』(蔦屋重三郎刊、安永五年) 国立国会図書館蔵

(永井 義男:作家・歴史評論家)

2025年1月5日から始まる大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。主人公の“蔦重”こと蔦屋重三郎は、どんな人物だったのか?江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏が、蔦屋重三郎と吉原について紹介します。(JBpress)

吉原を輝かせた男、蔦屋重三郎

 吉原は言うまでもなく遊廓である。また遊女は自分の自由意思でなったのではなく、「身売り」という結果の境遇だった。

 だが、しばしば「吉原はたんなる遊廓ではなく、江戸文化の中心のひとつであり、流行の発信地でもあった」という言い方がなされる。こうした吉原のイメージを作ったひとりが蔦重だった。

 つまり、吉原に江戸文化の中心としての脚光を当て、また遊女を男たちのあこがれの存在にまで高めた立役者のひとりが蔦重だったのだ。

 小さな書店から出発した蔦重は、出版に進出すると、吉原をサロンとして活用することで多くの文人や絵師と交流し、その才能を見抜き、育てた。そして彼らの才能を、吉原を舞台とした作品に結実させ、人気を博す。

 吉原を舞台にした戯作(小説)では、山東京伝著の洒落本『通言総籬』、『傾城買四十八手』、『錦之裏』などがある。

 遊女の姿を描いた絵では、北尾重政・勝川春章画の『青楼美人合姿鏡』(図1)がある。

 こうした本を読み、絵をながめた人々は、いやでも吉原へのあこがれを強めた。あこがれは江戸だけにとどまらない。当時、全国規模の雑誌や放送はなかったが、蔦屋など江戸の出版社が刊行した本や浮世絵・錦絵は全国の各地に伝わっていた。その結果、地方の人々も、本や絵に描かれている吉原や遊女を目にした。そして、「一度でいいから、吉原に行ってみたい。せめて花魁道中や張見世で、遊女を見てみたい」と、夢をふくらませた。かくして、江戸の吉原から日本の吉原となったのである。