(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
江戸の市場原理は現代と逆
吉原は公許の遊廓として有名だが、江戸の町には非合法の遊里である岡場所(おかばしょ)が、時代によって異なるが、40~50か所もあった。
江戸の中心部から遠い吉原にくらべ、岡場所は市中にあるため便利であり、しかも揚代(あげだい、料金)も安かった。
もちろん、岡場所の女郎屋(遊女屋)には高級店もあれば格安店もあり、つまりピンからキリまでだったのだが、主流は四六見世(しろくみせ)だった。
四六見世とは、揚代が昼間は600文、夜は400文の女郎屋である。
料金設定を見て、「昼間は400文、夜は600文の間違いではないの?」と思った読者は少なくないであろう。
疑問はもっともである。
というのは、現代、ラブホテルは平日の昼間、割引料金を設定しているところが多い。各種の性風俗店でも、夕方5時までは格安料金を設定しているところが少なくない。
考えてみれば、男は仕事を終え、日が暮れてから、いろんな性風俗関連の店に行くのが普通であろう。つまり、性風俗店は夜が繁忙期であり、昼間は閑散期なのだ。
閑散期は繁忙期に比べて料金を安く設定し、少しでも客を呼び込みたいというのは当然であろう。市場原理からすれば、「昼間は400文、夜は600文」とするのが妥当ではなかろうか。
では、江戸の四六見世の料金設定は市場原理に反していたのだろうか。
いや、じつは市場原理にのっとっていたのだ。
四六見世の料金設定の裏にあった、当時の下半身事情について述べよう。