取材・文=吉田さらさ

根津神社 写真=kawamura_lucy/イメージマート

起源は1900年ほど前

 風薫る5月。今回は、お散歩日和に出かけてみたい東京都心部の神社をご紹介しよう。根津神社は東京に数ある神社の中でも有数の古社、この記事が掲載されるころには残念ながらもう終わっているが、つつじ祭りでも有名である。

根津神社 満開のツツジ苑 写真=Nobuyuki_Yoshikawa/イメージマート

 つつじの咲き始めは例年4月はじめごろ、種類によって早咲き、中咲き、遅咲きがあり、見ごろが長いのが特徴だ。最盛期には色とりどりのつつじが境内を埋め尽くし、この世のものとは思えないほど美しい。ちなみに今年2024年は桜と同様に遅めで、4月中旬過ぎでもまだ5分咲き程度だった。

 この神社の見どころはつつじだけではなく、歴史的な見どころも満載だ。まずはその驚くべき由緒を知っておこう。はじまりは今から1900年ほど前、日本武尊が東征の際、須佐之男命の御神徳を仰いで千駄木の地に創始したと伝わる。祭神も須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主命・菅原道真公 と、そうそうたる面々だ。

 15世紀には太田道灌が社殿を奉納、神仏混淆時代には根津権現社と呼ばれていた。本地垂迹説(八百万の神々は、さまざまな仏が姿を変えて日本に現れた権現であるとする考え方)に基づき、御祭神である素戔嗚尊(須佐之男命)の本地仏は十一面観音菩薩、山王大権現(大山咋命)の本地仏は薬師如来、八幡大菩薩(誉田別命)の本地仏は阿弥陀如来とされ、根津三社大権現として広く信仰された。

 江戸時代までは、そのように神仏混淆の性質が強い神社だったため、今も社殿の瓦などに寺を表す卍の文様が多数見られる。こちらの建物群は多くが重要文化財であるため、もとの姿をそのまま残す必要があるのだ。

 その立派な建物群を奉献したのは五代将軍徳川綱吉である。その時までは千駄木にあったのだが、1709年に現在の場所に遷宮された。昭和20年には空襲で社殿の一部が焼けたが、昭和37年にはすべての建物の修復を終えて、綱吉様がお建てになった往時の姿が蘇ったのである。

 ご存じのように東京の中心部は空襲で大きな被害を受け、江戸時代に建てられ神社仏閣の建造物も多くが焼け落ちてしまった。つまり根津神社は、貴重な江戸時代の建築を鑑賞するための野外美術館のようなものである。