取材・文=吉田さらさ

熱田神宮 写真=アフロ

草薙神剣を1900年守り続ける大社

 名古屋の真ん中に位置する熱田神宮は、三種の神器のひとつである草薙神剣を祀る由緒正しい古社だ。主祭神は熱田大神、相殿神として天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種尊の五柱を祀る。熱田大神とは、草薙神剣を依り代として降りる天照大神のことである。相殿神は「五神さま」と呼ばれ、いずれも草薙神剣がこの神社に祀られた経緯に関係がある神々だ。

 古事記の昔、天照大神の怒りに触れて地上に追放された素戔嗚尊が、出雲の人々を苦しめていた八岐大蛇を退治した。するとその尾から剣が出てきた。素戔嗚尊はその剣を天照大神に献上した。これが天叢雲剣(草薙神剣)である。その剣は、天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊が地上に下る際(天孫降臨)、八咫鏡、八尺瓊勾玉とともに三種の神器として託された。その後草薙神剣には形代が作られ、そちらは宮中に留め置かれた。そして本来の草薙神剣は伊勢神宮に移された。

 時は流れて景行天皇の御代。日本武尊が東征に向かうことになり、その前に、おばに当たる倭姫命に会うため伊勢に立ち寄った。倭姫命は日本武尊に草薙神剣を授けた。東征の途中、日本武尊は尾張国造の祖先である宮簀媛命と出会って恋に落ち、無事戻ったら結婚すると誓った。

 そして宮簀媛命の兄である建稲種尊を副将軍として東征に向かい、草薙神剣の力を使って戦いに勝って帰還。めでたく宮簀媛命と結婚した。短い結婚生活の後、日本武尊は草薙神剣を宮簀媛命に預け、伊吹山の荒ぶる神を退治しに行った。日本武尊は伊吹山が神の降らせた雨のため病気になり、三重県の能褒野で亡くなる。宮簀媛命は草薙剣を大切に守り、やがてこの神社に祀ったという。

 以上のような物語を見ても、この神社が古事記に描かれる国の歴史にどれほど深くかかわってきたがわかる。敷地は広大で、利用する交通機関によって最寄りの門が違うのだが、はじめての参拝なら、やはり正門(南門)の鳥居から入っていきたい。この神社では、あちこちで神の使いである神鶏にも会えるとのことなので、心して歩こう。見かけると幸運が舞い降りると言われ、遭遇確率はかなり高いと聞く。