文=松原孝臣 撮影=積紫乃
現実と夢が分からないような感覚
あの瞬間の光景は忘れがたい。
2024年7月29日、パリオリンピック体操男子団体決勝。日本の最終種目は鉄棒。最後を締めくくる橋本大輝が着地しフィニッシュ。好演技で終えると、肩を組んで見守っていたチームメイトたちが勝利を確信し、喜びに沸く。
その中に、主将の萱和磨がいた。ふだんの落ち着きとは対照的に感情を爆発させる姿は、パリまでの歩みと、パリに懸けた思いを伝えていた。
あれから時が経ち、年が変わろうという師走。萱は穏やかな表情で話し始めた。
「あのときは、20年間、金メダルだけを求めてやってきて、その夢がかなった瞬間だったので、もちろんうれしくて、感極まっているんですけど、本当に正直、あのときは現実と夢が分からないような感覚でした」
決勝がスタートしてからトップを走る中国に差をつけられ、鉄棒を迎える時点で3・267点の差がついていた。逆転は困難と思える大差だった。萱はうなずくと、こう語った。
「体操競技で3点というのは大きな差で、簡単にはひっくり返らないんですけど、試合中は絶対にあきらめない、どんな点差だろうと、試合が終わるまではあきらめずにやっていました」
あきらめない——そのとき、主将である萱の存在は大きかった。萱はいかにしてチームをまとめ、あきらめない姿勢を持たせたのか。
「事前合宿から18演技をしっかり全員でつなぐということを意識してやっていましたし、最後の最後までオリンピックは何が起こるか分かりません。ここまでの大逆転はあまりなかったですけど、過去にも逆転があったり、ほんとうに何があるか分からないというのは、僕も東京オリンピックを経験して感じていたので、みんなに『あきらめるな』と声をかけて、心が折れないようにしようとしていました。
苦しい場面もところどころあって、そういうときこそみんなが声を出していたなと思っています。苦しい場面をどうにかして脱出するぞ、チーム全員がなんとかよくしようと、演技していない時間もすごくいい試合展開だったなと思っています」
事前合宿から培ってきたチームとしての力と、東京オリンピックを経験している萱の存在があったのだ。
萱は東京で悔しい思いを味わっている。団体でわずか0.103点の差で銀メダルであったことだ。
「東京のときも演技自体は仕上がっていたんですけど、自分のことしか見えてなかったというか、初代表の初めてのオリンピックだったので、チームのことまでは見きれていなかったですね。東京オリンピックからパリオリンピックは、自分のことをやることは大前提として変わらなくて、その先にチームのことに少しでも気を配るようにしたからこそ、チーム力が強くなったのかなと思います。自分のことプラス、チームのことという考え方を全員が持ってくれたからこそよかったのかなと思います」