体操競技は陸上の駅伝と一緒

 東京を経て、チームを考える姿勢をより大きくさせた萱は、こう心がけてきたという。

「いちばんは選手を信じることだなと思っていたので、試合では自分の演技をして次の選手にバトンをつなぐことが必要だと思っていました。練習中も口に出して言うよりは、最初のミーティングや試合の前日に声をかけていましたが、自分の見せられるところは練習の姿勢だと思っているので、自分が信頼されるような行動や練習をすることでみんなも相乗効果で頑張ってくれると思っていました。自分のやるべきことをやるのは東京オリンピックから今も変わらず、チームばかりに目を配ってしまって、自分のことがおろそかになってしまうのは違うので。

 体操競技は陸上の駅伝と一緒で、自分の演技が終わってそれをバトンとして繋いでいくのが団体戦なので、自分の演技に任された種目をしっかりやってチームにバトンを託すという考え方を持っていたことが勝利につながったのかなと思います」

 萱は、「失敗しない男」と言われるほどパフォーマンスが安定していることでも知られる。

「失敗しないというのはその一つの技に対して複数の技術があって、その技術をしっかりこういう場面でこの技術を使うっていう風に、究極の場面でも的確に選択することがミスをしないことにつながっています。練習でいろいろ引き出しを増やしてシミュレーションをして試合に挑んでいるので、やっぱり練習での準備が自分の安定感につながっているなと思います。」

 それは自分が体操選手としてどう生きるべきかを把握していたからであったのは次の言葉にうかがえる。

「自分の強みは継続するところだと思っているので、体操選手というか、日本代表に必要な選手になるために、自分の強みは何だろうと思ったら継続をいかして、安定感のある演技というのが自分が日本に求められていることだと思いました。人によってはスペシャリストだったりもすると思うんですけど、僕の性格上、そこは目指すところではないので、自分をほんとうに理解して自分の生きる場所を探して、なりたい自分になれるようにしてきました」

 ターニングポイントもあった。

「リオオリンピックの代表落選ですね」

 萱は試合を、観客席から見守った。

「28年生きてきて、あれより辛い、悔しい経験は今のところないです。それぐらい19歳の自分にとっては大きかったです。でもそこから、日本代表に必要な選手になろうと苦手を克服したり、しっかり自分のポジションを考えるようになりました」

 悔しさをばねにしつつ、性格を含め自分自身のことを知り、体操界をみつめ、長所を磨いてきた。それに経験が合わさり、萱はパリで輝いた。

 そして今、これからの競技人生、体操をみつめている。(続く)