
サウジアラビアを出発する日は、朝から風が強かった。
それでもヴィラが並ぶリゾートホテルの敷地内であれば日本で経験するのと同じ「風が強い一日」というだけの印象だったが、移動用のディフェンダー130に乗って近くの空港に向かい始めると、周囲の景色が一変した。
砂が風に舞って視界を白く妨げるとともに、ボディーに砂があたる「チリチリ」という音が始終聞こえてきたのだ。地元のドライバーは「これでも砂嵐としては中程度」と語っていたが、もしも身体ひとつで外に立たされれば、目を開けるのも呼吸するのも難しいであろうことは直ちに理解できる。

「これが砂漠というものか……」
快適なディフェンダーのシートで寛ぎながら、私は砂漠に暮らすことの厳しさをこのとき初めて知った。

ダカールはセネガルの首都だが……
私がサウジアラビアにやってきたのは、ダカール・ラリーに参戦するディフェンダーを取材するのが目的だった。
1979年にティエリー・サヴィーヌが立ち上げたパリ・ダカール・ラリーは、文字どおりフランスのパリを出発してセネガルの首都ダカールまで走る冒険イベントだった。考えてみても欲しい。当時はまだGPSも普及していなかった時代なのだ。コンパスとコマ地図を頼りに砂漠のなかを数千kmに渡って走り続けることがどんなに困難で危険に満ちたことだったのか、我々には想像すらできない。
実際、競技中の死亡事故は少なくなく、サヴィーヌ自身も競技中のヘリコプター事故で命を落としたのだが、それよりも深刻だったのがこの地域の政情不安で、このため2009年より開催地を南米に変更。そして2020年からは現在のサウジアラビアに舞台を移した。これは、観光資源の開発や国際スポーツイベントの誘致に熱心なサウジアラビア政府の意向を受けての決定だったようだが、それでもダカールの名前だけは受け継がれて現在に至っている。
そんなダカール・ラリーに今年からディフェンダーが参戦することになった。ちなみにディフェンダーが公式なモータースポーツイベントに参戦するのは、1948年の創業(当時の名はランドローバー)以来、初めてのことという。
2026年1月のダカール・ラリーに参戦したチーム「ディフェンダーラリー」。3台のディフェンダー OCTAベースの競技車両「D7X-R」のドライバーの一人、サラ・プライス(右)とコ・ドライバーのショーン・ベリマン(左)
ディフェンダー参戦の理由は
参戦に至った経緯を、ディフェンダーのマネージングディレクターであるマーク・キャメロンが説明する。
「2年前にダカール・ラリーを視察して、世界でもっとも過酷なレースであることを認識するとともに、アドベンチャーをブランドの核として標榜するディフェンダーにぴったりなイベントだと受けとめました。しかも、2026年からは市販車クラスがストックカー・クラスとして再出発することから、ディフェンダーでの参戦を決意しました」
このコメントからもわかるとおり、キャメロンは市販車に近い競技車両でのダカール・ラリー参戦を当初より想定していた。
なぜか。
ダカール・ラリーには市販車ベースの競技車両から、市販車とはまったく無関係でまるでバギーのような外観のプロトタイプカーまでが参戦している。しかし、ディフェンダーがダカール・ラリーに挑戦する最大の理由は、市販されるディフェンダーの優れたオフロード性能と耐久性を証明することにあった。したがって、無制限に改造が許されるカテゴリーで出走しても意味がない。市販車ベースの車両で挑むことにこそ、ディフェンダーが参戦する意義があったのだ。
©EdoPhoto
しかし、これまでの市販車クラスは改造範囲が厳しく限定されていたためにオフロードでのパフォーマンスは決して高くなかった。このため日々のセッションを終えてフィニッシュする時間がトップカテゴリーよりも数時間からひどいときには10時間以上も遅れることがあったという。
©Matteo Gebbia Edophoto
いっぽう、2026年から設定されるストックカー・クラスは、ボディー構造やパワートレインは量産車と同じであることが義務づけられるものの、サスペンションに関しては一定の改造が認められるので、パフォーマンスの大幅な向上が期待された。ちなみに、2025年の累積走行タイムは四輪の総合ウィナーが52時間52分、市販車クラスのウィナーが83時間34分だったのに対して、2026年は総合ウィナーが48時間56分、ストックカー・クラスのウィナーが58時間09分と、その差は大幅に縮まった。これもストックカー・クラスの導入によって実現できたことといって間違いない。
