7つの重要文化財
境内には7つの重要文化財の建物がある。まずは楼門。これは江戸内に残っている唯一の江戸期の楼門で、左右に随身の像が祀られ、向かって右側の像が水戸黄門と言われている。
続いて唐門。両端に唐破風がある独特の形を平唐門と呼ぶ。拝殿、幣殿、本殿の三棟の社殿はつながっており、この形式を権現造りという。
社殿の内部には三十六歌仙の絵が掲げられており、つつじ祭りの期間中は内部拝観も可能だ。社殿の左側にある西門と透塀も重要文化財。透塀は細い木で組まれた窓から中の社殿が見えることからこの名がついたとか。いずれの建物にも美しい装飾が施され、日光東照宮を思わせる華やかさだ。空襲の前には、東京のあちこちにこのような江戸時代の建造物が残っていたのだろう。
境内左側のつつじ苑側にも興味深い史跡がある。まずは文豪の石。夏目漱石や森鴎外もこちらの神社の氏子で、境内を訪れた際に、この石に腰を降ろしたことがあるという。
続いて千本鳥居。赤い鳥居がずらりと並び、京都の伏見稲荷神社に似ているためか、外国人観光客にも人気だ。この先にある乙女神社は朱塗りの舞台造りで、池が見渡せる。さらに歩くともうひとつのお稲荷さん、駒込稲荷がある。根津神社がまだ千駄木にあったころ、この場所には 甲府宰相徳川綱重の下屋敷があり、こちらのお稲荷さんはその屋敷の守り神だった。
それに関して見逃せない史跡がもうひとつ。徳川家宣公胞衣塚である。家宣は五代将軍綱吉の養子となり、その死後に六代将軍に就任したが、もともとこの場所に下屋敷を持っていた徳川綱重の子で、ここが生誕の地だ。胞衣塚は、その家宣が生まれた際の胎盤を埋めた場所を示している。生まれた子の胎盤を埋める風習は古代から存在しており、まじない的な意味を持つとされた。
最後に付け加えておきたい大切なことがもうひとつある。2024年4月現在、表参道の鳥居をくぐってすぐの右手に整地中の大きな敷地があるが、実はもうすぐここに、たいへん重要な建造物が移築される予定だ。コロナ禍中に惜しまれつつ閉館となった旅館「水月ホテル鴎外荘」の敷地内にあった森鴎外旧居である。
由緒ある建造物をなんとか残したいと奔走した旧経営者が根津神社に申し入れ、めでたくこちらに移築されることとなった。先にも書いたように、鴎外はこの神社の氏子で、よく境内を散歩していたという。貴重な建造物がそうした縁で受け継がれて行くのは、とても喜ばしいことである。移築された暁には、ぜひ見学に行きたいものだ。