連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
昨年の日本の人口減少数は、80万523人。これは、人口79万5544人の山梨県や79万4385人の佐賀県の人口を上回る数である。
政府は2030年代に入るまでが、少子化傾向を反転できるか否かのラストチャンスとして少子化対策に取り組んでいる。
岸田文雄政権は、次元の異なる少子化対策として、児童手当の所得制限撤廃、支給対象年齢を高校卒業までに延長、出産費用の保険適用、子供の医療費の負担軽減、学校給食費の無償化を掲げている。
さらに貸与型の奨学金の卒業後の月々の返還額を減らす減額返還制度、子育て世帯の住宅支援、保育士の配置基準を改善、親が就労していなくても子供を時間単位などで預けられる「こども誰でも通園制度」、両親が共に働き共に子育てする育児休業、国立博物館など子連れの人が窓口で並ばずに入場できる「こどもファスト・トラック」などを推進している。
だが、こうした外的環境の改善だけでなく、少子化傾向を反転させるためには、子作りに直結する行為に結びつく欲望を、いかに喚起させるかにあるのではないだろうか。
セックスとは本来、愛を育む行為
いまの社会の風潮として、性=禁忌すべきものという認識が、一部の人達の価値観に根付いているようにも見受けられる。
そうした背景には、社会に蔓延るセクハラ、芸能界における強者が弱者を喰い物にする性スキャンダルなどの影響もあるだろう。
不条理な行いが大々的に報道されることで、性欲ははしたないこと、性的な言動や行為は恥ずべきことであり忌まわしいもの、と捉える人も少なくないのではないか。
望まない相手に対しての性的行為の強要こそ、憎むべき所業であることは疑う余地はない。
だが、人間の性欲への強い執着性を鑑みれば、性の生理について厭わしいと不快感を覚えること自体、不自然なことといえよう。
私たち人間にとって、セックスは通常かつ標準的な習慣であり、嫌悪すべきもの、恥ずべきものではない。
性欲は食欲と同じで、人間がもともと持っている本能であり、愛情の表れなのだ。
昨今の日本人は男女ともに、包括的な心と身体のコミュニケーション能力が低下しているといわれている。
英国の行動科学者デズモンド・モリスは、人間の男と女が親密さを増していく過程を12段階に分類している。
まず1.相手を見る、2.見つめ合う、3.話す、4.手をつなぐ、5.肩を組む、6.腰に腕を回す、7.キスをする、8.頭をなでる、9.手で身体を、10.口で胸を、11.手で性器を愛撫と進み、最終的に12.性交に至るというものだ。
性行為は本来、メイク・ラブ、つまり愛を育む包括的な心と身体のコミュニケーションであるとともに、生きている喜びを享受する人間的活動なのである。