図 ほかの女とは許せない『風流艶色真似ゑもん』(鈴木春信、明和7年頃)、国際日本文化研究センター蔵

(永井 義男:作家・歴史評論家)

江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。

ほかの遊女と関係を結ぶと罰を受ける

 図は、吉原の妓楼内の光景である。左の遊女が煙管(きせる)を振り上げ、「また、ここに来て、いちゃつきなんす」と、怒りをあらわにしている。客の男はひたすら謝り、卑屈なほどだ。

 なお、下に見える小さな男は「真似ゑもん」。真似ゑもんがその小さな体を利用して、様々な情事を見物してまわる趣向の春本である。

 さて、この光景の背景には、吉原独特のしきたりがあった。吉原の妓楼では、客はある遊女(図の左の女)を買うと、別な遊女(図の右の女)を買うことはできなかった。

 しかし、客と遊女とはいえ、やはり男と女である。左の遊女を買ったものの、その後、男が妓楼内で右の遊女を見染めて、心ひかれることはあり得た。男がつい、右の遊女の部屋に来て話をしていたところ、左の遊女が感づいて乗り込み、怒りをぶちまけたのである。

 図では話をしていただけなので、これくらいですんだが、もしひそかに性的な関係を結んだのがばれると騒動になった。客は詫び金を払わされ、遊女は手ひどい折檻を受ける。

 こうしたしきたりを、現代人は、「伝統と格式のある吉原には独特の掟(おきて)があり、客はこれを守らなければならなかった」と理解し、なんとなく納得しているのではあるまいか。

 では、現代に置き換えて考えてみよう。

 筆者がある性風俗店に行き、A嬢とプレイしたが、気に入らなかった。そこで、次に行ったとき、受付で写真を見せてもらい、B嬢を指名したとしよう。

 こうした遊び方に何の問題もない。受付も、「店の規則で、女の子を変えることはできません」とは言わない。ましてA嬢が、筆者がB嬢の部屋に入ったのに気づき、怒り心頭に発して押しかけて来るや、「あんた、Bといちゃつくなんて、どういうことよ」と怒鳴るなど、あり得ない。

 あくまで、客である筆者に選択の自由がある。A嬢につべこべ言われる筋合いは、まったくない。

 ところが、先に述べたように、吉原では客に選択の自由がなかったことになる。これを「吉原の伝統と格式」ですませてしまうのは、あまりに安易ではあるまいか。そもそも、理不尽な商習慣といえよう。