NHK大河ドラマ『べらぼう』が1月5日よりスタートする。主役は、江戸時代中期に数多くのクリエイターをプロデュースした蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)だ。彼の名を知らぬとも、彼のような商人が活躍しやすい経済政策を打ち出した老中・田沼意次(たぬま おきつぐ)の名は、多くの人が耳にしたことがあるはず。賄賂を横行させたことでも有名な意次は、どのようにして世に出たのか──。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
大河ドラマの舞台は平安時代から江戸時代中期へタイムスリップ
大河ドラマ『光る君へ』は初めて平安時代中期を舞台にして話題となったが、1月5日からスタートする『べらぼう』では江戸時代中期が舞台となっている。
思えば、大河ファンもなかなかのタイムトラベラーである。『鎌倉殿の13人』で鎌倉時代にどっぷりはまっていると、次は『どうする家康』で戦国時代や江戸時代初期まで連れて行かれ、『光る君へ』で平安時代中期まで舞い戻ったかと思えば、今度は『べらぼう』で『どうする家康』よりも先の江戸時代へとタイムスリップすることになる。
こうも時代を行ったり来たりすると、頭が混乱してきそうだが、放送を翌日に控えた今回は、蔦屋重三郎にとってキーパーソンとなる田沼意次がいかに世に出たのか、というところから読み解いていきたい。
田沼意次は享保4(1719)年、紀州藩士の田沼意行(おきゆき)の長男として生まれた。紀州藩主の徳川吉宗が8代将軍となったことで、幕臣として取り立てられる。晩年には、将軍の世話係のリーダー小納戸頭取まで務めることとなった。
父の出世により、息子である意次もおのずと次期将軍候補である家重のもとで働くようになった。意次はこの家重によって見いだされることになるが、吉宗からすれば、家重は悩みの種となる不出来な息子だった。