飛田新地にある「満すみ」の外観(写真:Retsu Motoyoshi)

 今もその遊廓時代の雰囲気を色濃く残す飛田新地。そこに、かつて「満すみ」という屋号で営業し、今は廃墟となった飛田遊廓時代の建物がある。この「満すみ」を舞台にした写真集が『ある遊廓の記憶 飛田新地の廃墟が語る「在りし日」(https://kawazumedia.base.shop/)』だ。静かに時を刻む「満すみ」の写真やダンボールの中に残されていた当時の資料や文書を通して、当時の喧噪や暮らしを追体験する一冊に仕上がっている。今も「料亭」を経営する飛田新地料理組合の組合長、遊廓史や建築史の専門家、『さいごの色街 飛田』の著者であるジャーナリストの井上理津子氏のインタビューや談話も見どころの一つだ。

ある遊廓の記憶 飛田新地の廃墟が語る「在りし日」』を上梓した蛙企画の篠原匡氏(ジャーナリスト・編集者)に話を聞いた。(聞き手:加藤 葵、シード・プランニング研究員)

※記事の最後に篠原匡さんのインタビュー動画が掲載されていますのでぜひご覧下さい。

──今回出版された『ある遊廓の記憶 飛田新地の廃墟が語る「在りし日」』について、どのような写真集なのか教えて下さい。

篠原匡氏(以下、篠原):この写真集は、大阪の歓楽街、飛田新地に現存する元遊廓の写真集です。

 この物件は、一帯が「飛田遊廓」と呼ばれていた1929(昭和4)年に建てられたものです。1958(昭和33)年の売春防止法完全施行後は「満すみ」という屋号の「料亭」として風俗営業を続けていましたが、1990年代後半に廃業し、その後はずっと放置されていました。

 この物件との出会いは2019年の夏です。取材で大阪・西成に行った時に物件を管理している方と知り合いになり、中を見せてもらったんです。外観はだいぶ傷んでいましたが、中には大正から昭和初期、戦後に「赤線」と呼ばれた時代の様々なものが残っていて、とても面白いと思いました。

 建物が老朽化して、いつ解体されてもおかしくない状態だったこともあり、「写真集」という形で記録に残そうと考えました。

──建物の中には何が残っていたのでしょうか。