あれだけ暑かった、そして長かった夏はあっという間に終わり、もう今年ももうあと2カ月。しみじみしていたら、この時期恒例の流行語大賞ノミネート語が発表され、話題になっている。
今年の大賞は「アレ(A.R.E.)」だろうか。「NGリスト」あたりが順当だろうか。「蛙化現象」は、意味がまるでわからず、ググって調べた記憶がある(そしていまだに意味がよくわからない)。
「異次元の少子化対策」が入っていないのは残念だ。岸田文雄首相の「経済、経済、経済!」は、ひょっとして流行語大賞狙いだったのか? だが、時期が遅すぎたのかノミネートされなかった。それはともかく、岸田首相はことばやスピーチばかり威勢がいいけれど、そろそろ実行力が問われてもいいのではと思う。
ところで、流行とかいう話ではないが、やたらと気になることばがある。それは「未来志向」だ。
「未来」もいいが、「過去」と「現実」はどうする?
5月に岸田首相が韓国を訪問し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した際、新聞やテレビなどでもたくさんこのことばを目や耳にした。「未来志向で関係を深化させる方針で一致した」といったように、カギカッコでくくった政治家の発言の引用ではなく原稿の地の文で出てくることさえあった。
わたしが暮らす広島市でも、このことばが何度も飛び交う場面があった。先月もここで触れた、広島の平和記念公園と、アメリカ真珠湾の国立記念施設との間の姉妹公園協定の議論だった。
6月下旬、広島市が突如「広島と真珠湾の間で姉妹公園協定を締結する」と発表し、議会でのまともな議論がないまま、予定通り、1週間後に広島市の松井一實市長と、ラーム・エマニュエル駐日米国大使が東京の米国大使館で協定締結式に臨んだ。その意義について、両者は「戦争の始まりと終焉の地」の連携を挙げたが、この歴史認識の妥当性やプロセスについて問題視する声が内外から上がったのは、ある意味当然の流れだった。
「かつては敵味方に分かれていた日米両国の市民が、ともに和解の精神のもとで、未来志向で、交流を深めるきっかけとして、姉妹公園協定を締結することができるようになったなと受け止めました」。締結後、松井市長は定例記者会見でこう説明した。
議会では担当局長がこう答弁した。「今後、本協定に基づいて未来志向の取り組みを両公園で検討し、次世代を担う若者を中心とする交流を深め、和解の精神を具現化した交流を好事例として世界に発信する」。この際、原爆投下に関わる米国の責任をめぐる議論について「現時点では棚上げにする」という発言をしたことが、さらに物議を醸した。
未来に目標を定め向かうことを意味する「未来志向」。それ自体はとっても響きがいい。だけど、どこかしっくりこない。
「未来」「未来」というけれど、過去と現実とはどう向き合うのか。わたしの疑問は、基本的にその一点だ。過去の歴史と向き合わず、あるいは現実にある課題を傍に置いたままにすることで、良き未来に向かっていけるのだろうか。