昨年の8月6日、広島の平和記念公園で開かれた平和記念式典に出席した菅義偉首相(当時。写真:REX/アフロ)

朝日新聞広島版で連載「なにしょーるん」を執筆していた宮崎園子さん。その人気連載の続編として「どーしょーるん」の連載をJBpressにて開始します。宮崎さんが「ジャーナリズム」の視点でさまざまな問題を切り取る「どーしょーるん」第1回。(JBpress編集部)

「のりのあとがない」で注目された1年前に抱いた疑問

 会社勤めをやめて、1年が経った。25歳の頃から19年間新聞社で働き、その前に新卒で2年弱、金融機関に勤務したので、トータル21年間のサラリーマン生活に終止符を打ったことになる。新聞記者として最後の勤務地となった広島で、私はこれまで通り子ども2人を育てながら、取材したり、執筆したりということを細々と続けている。「人生の車線変更」をしたのはコロナ禍の入り口のころだったが、あっという間に、コロナ禍三度目の夏を迎えた。

 去年の今頃は、忙しさにかまけてできていなかったことや、やりたくてもできなかったことなどをやりつつ、ゆるりと何かを書いていこう、ぐらいにのんきに構えていたのだ。だが、秋ににわかに忙しくなった。これまで取材をする側だった私が、取材を受ける側に、期せずしてなってしまったのだ。

 昨年の夏、広島原爆の日に開かれた平和記念式典に参列した菅義偉首相(当時)が、恒例の首相あいさつの際に重要部分を読み飛ばし、その晩「のりがくっついてはがれなかった」と首相関係者が説明したとする報道が流れた。広島市が公文書としてあいさつ文を保管している事実を知った私は、原本を情報公開請求して閲覧し、のりがくっついてはがれた跡もなければ、そうなる構造でもないことを突き止め、取材結果をネット記事で配信した。それがSNSでバズったことから、在京ラジオ局などから取材を受けることになったのだ。

(参考:外部サイト)【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上)
https://infact.press/2021/10/post-13859/

 そういう状況になるまで、私はあることについて、深く考えずに過ごしてきた。それは、自分で自分の肩書きをどう名乗るかという問題だった。