朝日新聞広島版で連載「なにしょーるん」を執筆していた宮崎園子さん。その人気連載の続編としてJBpress版「どーしょーるん」を開始。宮崎さんが「ジャーナリズム」の視点で社会のさまざまな問題を切り取る「どーしょーるん」第2回。(JBpress編集部)

「要りません」が「大丈夫」になる曖昧な社会

 ちょっと前から、じわり気になっていることがある。小学生の我が子2人がしばしば口にする、「大丈夫」という言葉だ。

「ごはんお代わりいる?」「だいじょうぶ」

「こっちの色にしたら?」「だいじょうぶ」

 結局、お代わりが要るのか、要らないのか。「更問い」をしてやっと「いらない」の返事が来る。要るときは「いる!」と明確な返事が来るので、もう、「だいじょうぶ」はノーサンキューの意味なのだと、自動的に理解するようになった。

 しかし、なぜこんな表現をするのだろう。私は家でも外でもこのような表現をしないから、学校なり、放課後児童クラブなり、習い事なり、子どもたち自身が社会生活で身につけた表現なのだと思う。親や友達になら「いらないよ、ありがとう」でいいし、家族以外の目上の人にでも「いいえ、けっこうです」と言えばいいと思うのだが…。「いらない、っていったらなんかわるいようなかんじがするから」。8歳の娘はそう説明した。

 つい先日の沖縄タイムスの1面コラムでも、外国出身の店員に「袋いりますか」と聞かれ、「大丈夫です」と答えると、3円の袋が付いてきたというエピソードが紹介されていた。日本語を母語としない人からしたら、さぞかし理解しにくい表現だろう。毎日新聞校閲センターが運営するサイト「毎日ことば」を見ると、『要りますか?に「大丈夫です」は答えになっているか』という話題がトピックとして上がっていた。このことについて、違和感を抱いているのは私だけじゃないんだ、と読み進める。

 それによると、コンビニなどで袋が必要かを問われた際、「要る」「要らない」ではなく「大丈夫です」と答えることの是非を問うたアンケートの結果、9割の人は「大丈夫」が「要らない」という意味だと考えるが、曖昧と感じる人が全体の6割を占めたという。最近では、「婉曲的に拒否したり、辞退したりするさま」と説明した国語辞典もある、ということも紹介されていた。

 ちなみに、小学生の時に買ってもらって以来、30年以上大事に使い続けている私の古い国語辞典には、「たしかなさま。良い結果になることが保証できるさま」とある。「たしか」どころか、こんなに曖昧なのだが!