G7サミットは誰の、何のための、行事だったのか
「国家権力見本市2023」。5月19日からの3日間にわたって開かれたG7広島サミットは、広島市中心部に暮らす一市民のわたしにとって、そんな印象を残した。非日常で妙な緊張感が張り詰めた空気の中、生活のさまざまな局面で実に多くの規制や制限、指示が降りかかる一方で、それをひたすら受け入れることにならされていく日々だった。
あるいは、「全国警察車両博覧会in広島」。北海道警から沖縄県警まで、全国各地のパトカーや白バイ、人員輸送車などの警察車両や各種装備品を見て、小学生の息子は終始大はしゃぎだった。
G7サミットが過ぎ去って2週間あまり、日常を取り戻した広島で、今でもわたしは考え続けている。「あれはいったい、誰のための、何のための、行事だったんだろうか」
平和記念公園の周囲には、内側の様子をうかがいしれなくなるように目隠しをした形で、背丈を超える高さのフェンスがぐるりと設置された。公園を所有・管理する広島市ではなく外務省の名で「静穏保持指定地域」と赤字で書かれた警告が、妙な威圧感を醸し出していた。
開幕2日前の夜に原爆ドームの前を歩いていたら、他県からの応援組の警察官に「部外者の方は迂回してください」と指図された。子どもたちの小学校は休校措置が取られ、学童保育も休みとなり、甚大な影響を受けている一生活者なのに、県外から来た人に「部外者」よわばりされるとは。
各国首脳の広島入りが始まってからの広島市中心部はカオスだった。信号待ちをしていたら、一瞬のうちに横断歩道が封鎖され、足止めを喰らう。いつ頃解除するかを聞いても「わからない」。迂回先での規制状況を聞いても「向こうで聞いて」。