「水は低いところに向かって流れ込んでくると、グルグルと渦を巻くんです。そして、次の低い行きどころが見つかると、そこに向かってドッとすごい勢いで流れていく」
そう語ったのは、熊本県人吉市在住の木本雅己さん。3年前の球磨川豪雨で自宅が浸水。「どうせウチは浸水して帰れない」と、避難所へ向かうことは後回しで、仲間に声をかけ、被災現場を見て回った。その後も聞き取り調査を続けて、その中で発見した真実の一つだ。
仲間とは今年で結成30年の「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」(略称:手渡す会 https://tewatasukai.com)の面々。清流を次世代に手渡したいと、旧・川辺川ダム計画の中止を勝ち取った住民運動の中心的担い手の一つだ。
本流の氾濫前に、すでに人が亡くなっていた
この3年余りで、被災者200人以上から浸水被害を受けた時の避難行動や目撃情報を聞き取り、2000枚以上の写真と映像を入手した。
「聞きに行く本人たちが被害を受けとるけん、『そら、大変やったろ』て話してくれる」(木本さん)
聞き取った情報をもとに、人吉市内で20名が亡くなった場所と時間を地図に落としていった。その結果、人々が命を落とした原因は、本流・球磨川からの氾濫ではなく、支流や用水路、標高差が生んだ激流だったことが浮かび上がってきたという。
「本流・球磨川の氾濫は午前8時頃から始まりました。しかし、人吉市内で亡くなった20人全員が、8時前には亡くなっていたんです」(木本さん)