だが、通信社の報道によってこのことが明らかになった後も、「臣民」の言葉も含めて引用した現在の資料の内容を変える予定はないと松井市長は言い張る。戦後の民主主義を否定しているようなものだ。
オープンな議論と批判なくして「平和」なのか
これら一連の出来事に対して、「それはおかしい」と声を上げる人たちはいる。ただ、それは本当にごくごく一部の人たちだけに止まっているのが現実だ。
そんな現実について考えているうちに、なんとなく見えてきたものがある。老若男女、官民揃ってこぞって「平和」を大合唱するわりには、「平和」を阻害するものに対して批判の声を上げる人がごくごく一部の人にすぎないということだ。大きな権力に対して、それを批判する内容のことを堂々と言えるような雰囲気がない。
そして、広島が訴えてきた「平和」の意味を揺るがすような事柄が、ごく一部の人間だけの閉鎖的な空間において、市民を交えたオープンな議論がないまま決められていることも。
「平和都市」において、「平和」の定義がものすごく矮小化されているのではないか、とも思えてくる。1945年8月6日に広島で起きた出来事に紐付けて「平和」を考える営みは必要不可欠だけれども、それだけでは不十分ではないだろうか。