ドイツの不安定化を招いた債務ブレーキ法とは何か?

 そもそも、債務ブレーキ法という、一見すれば無茶なドイツの財政ルールはなぜ生まれたのか。もちろん、歴史を振り返れば、第一次世界大戦後のハイパーインフレの教訓からということになりそうだが、この制度自体はそこまで古いものではない。

 債務ブレーキ法は2009年、メルケル政権時代に憲法改正が行われ、2011年以降に段階的運用が始まり、2016年から本格運用に至った、比較的最近の仕組みである。

 既報の通り、構造的な財政赤字を名目GDPの0.35%以内に抑制することを規定している(これは連邦政府の話で、州政府はゼロ%である)。例外として経済危機や非常事態の際には、一時的に制限を超える歳出が認められ、近年ではパンデミック対応がこれに相当した。

 もっとも、インフラ投資やエネルギー政策に関し、例外を一切認めない運用については近年、政治的な争点と化しており、これがショルツ政権崩壊の契機となった。

 実際、「帰ってきた病人」とまで揶揄され、長期停滞が確実視される状況に至っても均衡財政を貫くのは正気の沙汰ではない。

 昨年11月、ショルツ政権はドイツ経済の低迷やウクライナへの追加支援を大義として例外規定の適用(155億ユーロの国債追加発行)を主張したが、自由民主党(FDP)党首であるリントナー財務大臣がこれを阻止、連立政権の崩壊に至った。

 現在に至るドイツ政局の混乱は、エネルギー政策や移民政策、対中・対ロ政策のツケなど様々な論点が絡むが、直接的には債務ブレーキ法に起因している。

 長期的な財政安定を企図する債務ブレーキ法は「有事対応に余裕を与える」という意味でメリットもあるが、その硬直性ゆえに政局混乱の種にもなっており、ドイツの政治・経済の安定性を逆に損なっている現実がある。

 ここにきてようやく自浄作用が進むことは、ユーロ圏の経済・金融情勢にとって明らかに前向きな話と言える。