なぜメルケル前首相は債務ブレーキ法を導入したのか?
では、メルケル前首相はなぜこのような厳格なルールを憲法化し、導入したのか。これを理解するためにはEUの財政ルールである安定成長協定(SGP)の歴史も併せて理解しておく必要がある。
SGPは財政赤字を名目GDPの3%以内に、政府債務残高をGDPの60%以内に抑えることを求めている。目的は言うまでもなく共通通貨ユーロの信認を担保することである。
メルケル政権発足(2005年)の直前となる2002~2004年、ドイツはまだ「欧州の病人」と呼ばれた低迷状態にあり、SGP違反が常態化、欧州委員会からも監視され続ける存在であった(図表②)。
【図表②】

もっとも、これはドイツに限った話ではなく、同時期はITバブル崩壊を受けてフランスもSGP違反が常態化していた。
この時、欧州委員会がSGPの定めに沿ってドイツ・フランスの2大国に対して罰則を発動しようとしたが、そうはならなかった。両国は「SGPの厳格運用は経済成長を妨げる」と主張し、公然と欧州委員会に反抗したのである。
2003年11月、欧州委員会はドイツとフランスに対してSGP違反に伴う制裁を要求したが、両国の意を汲んだEU経済・財務相理事会(ECOFIN)は制裁手続きの停止を決定。欧州理事会(EU首脳会議)がこれを追認し、制裁は執行されなかった。
これは当時のドイツ(シュレーダー政権)とフランス(シラク政権)が景気後退時の財政赤字容認を含む制裁の柔軟化を主張し、イタリアやスペインと言った財政状態が芳しくない国々を自陣に引き込んだ結果である。
要するに、「ドイツとフランスが共闘して政治工作し、財政ルールを捻じ曲げた」というのが2000年代初頭におけるEUの財政ルールの実情であった。