3.日米地位協定とNATO軍地位協定の比較

 本項は、元日本大学法学部教授・信夫隆司氏著「ドイツ駐留NATO軍地位補足協定と刑事裁判権」を参考にしている。

(1)刑事裁判権問題の本質

 日本に駐留する米軍兵士等が日本で罪を犯した場合、 その裁判権は日米どちらにあるのか。

 この問題は、刑事裁判権を定めた日米行政協定第17条が1952年に改正され、NATO軍地位協定(北大西洋条約当事国間の軍隊の地位に関する協定)並みとなったことによって一応の解決をみた。

 NATO軍地位協定によれば、被害が派遣国のみに及ぶ犯罪、および公務執行による犯罪を除き、その他の犯罪については、受入国が刑事裁判権を有すると規定されている。

 その後、1960年に日米安保条約が改正され、行政協定は日米地位協定と改称される。同第17条はそのまま日米地位協定に引き継がれた。

(2)NATO軍地位協定

 NATO軍地位協定は1951年6月、ロンドンで署名され、 1953年8月に発効した。

 同協定は、 NATO加盟国に駐留するNATO軍の地位を定めた基本条約である。同協定では、加盟国は派遣国にも受入国にもなりうる。

 まず、この協定が刑事裁判権をどのように規定しているのかを確認しておく。

 同協定第7条第1項⑧によると、派遣国軍隊の構成員、軍属、および、それらの家族が受入国で罪を犯した場合、軍隊派遣国に刑事裁判権を行使する権利が与えられている。

 同時に、同項(b)によって、受入国も裁判権を有する。

 したがって、ほとんどの犯罪では、派遣国および受入国の双方に、裁判権が与えられる。

 第7条第2項(a)は、派遣国の法律によって罰せられるものの、受入国の法律によっては罰せられない犯罪の場合、派遣国が専属的裁判権を有すると規定している。

 逆に、同項(b)は、派遣国の法律によっては罰せられないものの、受入国の法律によって罰せられる場合には、受入国が専属的裁判権を有する。

 その典型的な例に、派遣国あるいは受入国に対する反逆の罪がある。

 派遣国への反逆の罪は、受入国の法律では罰せられない。逆もまた同様である。

 第7条第3項は、第1項の裁判権が競合する場合、派遣国あるいは受入国のいずれに裁判権があるのか、その解決法を規定している。

 第3項(a)は、派遣国の軍当局が、受入国に優先して裁判権を行使できる(これを第1次裁判権という)場合を規定している。

 以下の(i)(ii)の2つである。

(i)派遣国の財産もしくは安全のみに対する犯罪、それに、派遣国の構成員等間の身体または財産のみに対する犯罪。

 前者は、派遣国の兵士が派遣国の管理下にある物品を窃取した場合、後者は、兵士同士の喧嘩で、相手にケガを負わせたような場合が典型的な例となる。

(ii)公務執行中の作為または不作為から生ずる犯罪。

 第3項(b)には、以上を除き、その他すべての犯罪で 受入国側が第一次裁判権を有するとある。このように、受入国側に広範な裁判権を認めるのが、NATO軍地位協定の原則なのである。

 第3項(c)には、裁判権放棄に関する規定が置かれている。

 第2次裁判権を有する国が、第1次裁判権を有する国に裁判権の放棄を要請する場合である。

 この放棄の要請は、第1次裁判権の放棄が特に重要であると第2次裁判権を有する国が判断する場合に行われる。

 この要請に対し第1次裁判権を有する国は、好意的考慮を払わなければならない。事件ごとに個別に要請する場合が想定されている。

(3)筆者コメント

 NATO軍地位協定が1953年8月に発効すると、日米地位協定の前身である在日米軍行政協定は、1953年9月29日に改正され、「日米行政協定第17条改定に関する議定書(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定第17条を改正する議定書)」が作成された。

 そして、行政協定第17条は、そのまま日米軍地位協にも引き継がれた。従って、日米地位協定の刑事裁判権に関する規定は、NATO軍地位協定と同様である。