ウクライナによるオリヒウからトクマクまでの軍事作戦は、南部戦域の一つの攻撃正面である。
ここでの戦いは、ウクライナにとってはクリミア半島と2州を奪回する糸口であるが、敗北すれば領土の奪還はほぼ不可能になる。
この地の戦いは、今のところ全域から考えると小さな戦場である。
しかし、ウクライナとロシア軍の研ぎ澄まされた先端部分の戦いであり、全力を尽くして正面からぶつかり合っている。
さらに、クリミア半島を奪回するかしないかがかかっている。ウクライナでの戦争において、完全に流れが変わる決戦場と言ってよい。
日本の戦国武士の戦いに例えるならば、豊臣と徳川両軍の関ヶ原の戦いに似ている。
1.4部戦線の攻防概要
改めてウクライナとロシア両軍の地上作戦を見ると、正面幅は約700キロととてつもなく広く、縦深も100キロ以上ある。
これらは、ルハンシク州の北部戦線、ドネツク州の東部戦線、ザポリージャ州の南部戦線、へルソン州の西部戦線に概ね区分されている。
北部戦線では、ロシア軍が攻勢に出てはいるものの、ウクライナ軍に撃破されて止められている。
東部戦線では、ウクライナ軍がバフムトの南北から攻勢に出ているが、ロシア軍が攻勢に出ている地域もある。
4つの戦線
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ウクライナ軍の東部での攻勢は、ロシア軍が戦略的に重要と考えるバフムトを奪還して、ロシア軍に心理的敗北感を与えようとするものである。
一方、敵対するロシア軍の攻勢は、ウクライナ軍が南部で攻勢に出ているために、その背後に脅威を与えようとするものだ。
とはいえ、両軍ともこの正面に展開する戦力量から評価すれば、北部と東部に配置されている軍部隊を南部に移動させないように拘束するためのものである。
とすれば、これら2つの戦線では、南部戦線が決着するまでの間、停滞が続くであろう。