それでも、この建築をレーモンドが設計したことは間違いない。以前にレーモンド事務所OBの三沢浩氏がこれについて語っているのを読んだことがある。だから、ずっと気になっていた。

 前振りが長くなったが、その素晴らしさをリポートしよう。

 まずは、山手通り側(東側)の正面外観。ほぼ線対称の造形。切妻屋根の端部が折れて、水平になっている。「このピヨッと羽のように折れた形は、ライトが設計した自由学園明日館を連想させる」と和田さん。なるほど、そういう見方もできるか。

 なぜライトの建築を引き合いに出すかというと、もともとレーモンドはライトの助手として帝国ホテルの建設のために来日したからだ。このピヨッと折れた形の理由は後述する。

 入り口の庇は半円形。コンクリートスラブが薄い。端部でテーパー(勾配)をつけて薄く見せているのだろうか。現在では見ない薄さだ。

 私が20年くらい前に知ったときから、建物は今のように白い外壁だった。だが、もともとはコンクリート打ち放しだったという。そのままだったらさぞや、とは思うものの、白く塗られても安っぽい感じはしない。

 それは正方形のグリッドが出目地の陰影によって浮かび上がるからだ。正方形による構成を見せたいという強い意志が伝わる。こういうひと手間が長い年月を経たときに建築の価値を分けるということがわかる。

いよいよ聖堂の中へ

 聖堂の中はこんなことになっていた。まずは祭壇を真正面から見る。

 内部は今もコンクリート打ち放しのまま。2階以上のコンクリートの壁は折板構造だ。1階は柱・梁と壁で支持されている。