「そこで私が気がついたのは悪い試験問題が非常に多いということであった」
「私は予備校で3年ばかり教えていたことがある。そこの予備校のやり方に従うことになって、各大学の数学の入試問題を随分調べた。すると技巧的で何かうまいやり方を思いつかないとできない問題がかなりあった」
「有名大学でなくそれほど競争が厳しいとも思われない大学が特にそうであった。入試問題などというものは基本的知識の有無と理解の程度を調べればよいのである」
「そういう問題を適当なレベルで作るのは案外難しいのかもしれない。まさか出題者が技巧的な問題を作って得意になっているわけではないとも思うが」(「数学で何が重要か」p.28-29)
ここから見えるのは、志村さんの極めて現実的な数学教師、あるいはアカデミシャンとしての堅実な定見である。
「入試に役立つ数学」など論外で、その先の人生に役立つ数学の基礎をしっかり見て取れれば、入試などというものは十分だという、実に真っ当な、建設的な観点が見てとれる。続きを引用しよう。
「当時私が提案して東大の入試問題になったものをひとつ書いておく(中略)」
「『一辺の長さ1の正4面体ABCDの辺ABの中点と辺CDの中点との距離を計算せよ』。普通に考えれば10分とはかからないだろう」
「多分1960年頃である。そんな易しくてよいのかと思う人もいるかもしれない。しかし易しすぎて失敗だったという記憶はない。今でもこの程度で通用するだろう。ほかの問題もあるのだから。」(同書p.29)
まさに定見と思う。入学試験というものは、実は、1点でも点をやりたいと思って作られるものである。その事実を社会はもっと普通に理解し、受け入れるべきと常々思っている。
なぜか?
逆を考えてみたらよい。すなわち、1点の点もやりたくない、とすれば、難問奇問、珍問愚問の類を並べ、受験生は軒並み0点の平野に死屍累々となることだろう。