世は新時代だそうであるから、私は新世代に向けてこの原稿を記したい。とりわけ中学、高校生の読者に、受験だ何だというどうでもよい枠組みと無関係に、志村さんの遺言のような4冊に、若く感じ方の柔らかい時期に触れておくことを強く勧めたい。
(幸か不幸か私は「大学入試頻出筆者」だそうで、このコラムを読んでいるティーンエイジャーが一定数あることを私は認識している)
志村さんがこれらの本を公刊されたのは、彼が80歳から84歳にかけてのことで、この連休、5月3日に89歳で亡くなられたとのことだから、最晩年といって大きくはずれないだろう。
長年プリンストン大学で研究され、達意の英文コラムなども米国の新聞に投稿しておられたから、本当に最後の原稿ではないだろう。
でも、齢80を迎えるにあたって、このような「初学者」向けの丁寧な書籍を、しかも廉価な文庫という形で、さらに「書き下ろし」で出稿されたのには、背景があり、志村氏としての得心があったに違いない。
また、これら「未来への遺言」的な書籍をちくま学芸文庫への「書き下ろし」として委嘱した編集者、それをサポートした版元の仕事を多としたい。
この出版不況のおり、さらにどうでもよいエピゴーネンの跋扈する中、よくぞこのような書物をこの世に誕生させてくれたものだと、正味の賛嘆をお送りしたい。
生前の志村氏は「癇癪」で知られたようで、その辛らつを極める舌鋒筆鋒には様々な逸話や批判もあるようだが、すでに亡くなった人であり、以下では一切、そうしたことには触れない。
もとより故人を存じ上げないので、もっぱらその遺された仕事から、続く世代の若い精神に有効と思われるポイントを2、3選び、それについてのみ、記そうと思う。
入試で問うべきものは何か?
まず前掲書のタイトル「数学をいかに使うか」に注意しよう。4冊の書物はすべて、この第1冊の基本方針で一貫している。つまり「使える」数学ということである。
このように記すと、多くの読者が勘違いするだろう。例えば「大学入試で使える数学」であるとか、物理から金融まで、様々な「応用で使える数学」など、など。
志村さんの、そういう「使える」に対するピシャリとした全否定はハッキリしている。第3冊「数学で何が重要か」の4章は「入学試験と数学オリンピック」と題され、<問題解き>の悪弊を明瞭に指摘しておられる。引用してみよう。