近代は中国にとって屈辱の歴史
イギリスの東インド会社は、18世紀には中国貿易を独占する勢いとなり、インド産のアヘンを中国に輸出して利益をあげたが、その結果、中国でアヘン中毒患者が急増した。そこで清はアヘン取り締まりに乗り出し、1840年6月にイギリスと戦火を交えるようになった。これがアヘン戦争である。清は敗退し、1842年8月、不平等条約(南京条約)を強いられ、香港島をイギリスに割譲した。
1856年10月には、アロー号事件が起こり、イギリスと清は再び戦端を開いた(アロー戦争、第二次アヘン戦争)。また、1957年12月には、清は英仏連合軍と戦い、敗北した清は、1858年には天津条約、1860年には北京条約を強いられ、九竜半島の一部がイギリスに割譲された。
1894年には日清戦争が勃発し、清は敗北し、翌年4月に講和条約(下関条約)が結ばれた。その結果、台湾は日本に割譲された。
日清戦争の敗北は、清朝の弱体化を世界に示すことになり、列強は中国での利権あさりに精を出すようになる。
以上の歴史を振りかえると、中国にとっては、まさに屈辱の近代であったと言わざるをえない。日清戦争で日本に奪われた台湾は、その象徴であった。
香港は、1997年7月1日にイギリスから中国に返還されたが、台湾はまだ中国に統一されていない。
習近平は、屈辱の近代史を深く胸に刻んでおり、「中華民族の偉大な復興」を実現し、台湾を統一することこそ自分の責務であると確信している。それが故に、台湾有事をめぐる高市発言に対して、心底から怒っているのである。