64年の生涯、不遇な人生でも後悔がなかった理由
マルクスからすれば、50代を目前にして、渾身の仕事が不発に終わったのですから、すべて嫌になってもおかしくはありません。経済的な状況を考えても、これまでと違った生き方をしてもいいのかもしれない。そんな葛藤があったのではないでしょうか。
それでもマルクスはその後も諦めることなく、革命に身を投じました。その決断の裏には、自分しかできない仕事に打ち込んでいるという自負。そして、どんなときでも自分の仕事を信じて待ってくれている盟友の存在が大きかったことでしょう。
やがて不健康な生活がたたって、深刻な体調不良に陥ります。晩年は咽頭炎に気管支炎、さらに不眠症に悩まされました。1883年3月14日、エンゲルスが見舞いに訪れると、家にいた者からこう告げられています。
「今は暖炉の横でお気に入りの椅子に座って、半分寝ているわ」
そしてエンゲルスがマルクスの寝室に入ってから、2分後に息を引き取りました。64年の生涯でした。マルクスの葬儀に集まったのは、たったの13人。誰もがマルクスのことは、このまま歴史から忘れ去られると思ったに違いありません。
しかし、それでもやはりエンゲルスだけは、マルクスの残した偉業を信じて疑いませんでした。墓地でこう語っています。
「彼の名とその業績は、何年もの風雪に耐えて残るだろう」
エンゲルスは、遺稿をもとに『資本論』の第2巻と第3巻を編集。マルクスに代わって世に送り出しました。マルクスの才が世界を変えることを確信していたのです。そしてその思いは現実となります。
生前には十分な評価が得られなかったマルクスですが、それでも人生に悔いはなかったことでしょう。最期の言葉は、こんなマルクスらしいものでした。
「出てけ、失せろ。最期の言葉なんてものは、生きているうちに言いたいことを全部言わなかったバカ者どもが口にするものだ」
まだ社会に出て間もない20代や30代においては、周囲に認められることは、ある程度、重要なことかもしれません。
しかし、40代から50代においては、評価されることよりも「残り時間で、どれだけのものを後世に残せるか」が大切になります。つまりは、マルクスのように、自分のやりたい道をただ突き進めばいいのです。
その結果、たとえ志半ばに倒れても、誰かが意志を継ぎ、あなたの続きをやってくれるはず。できることなら、同志を見つけて親交を深めながら、自分の仕事に打ち込めれば、言うことはありません。
■マルクスに学ぶ大器晩成のヒント
・何度中断しようが、自分がやりたいと思うことをやる
・大きな志をともにする盟友と交流する
・大事なのは、評価されることではなく「どこまでやり切るか」
* * *
『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』(真山知幸著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、マルクスのように「挫折を経て50 代で道を切り拓いた偉人たち」のほか、「50代以降に花開いた偉人たち」「50代以降から新たな挑戦を始めた偉人たち」「50代以降に新ジャンルに挑んだ偉人たち」など、中年期でのキャリア形成のタイプ別に、数多くの人物を取り上げています。
人生の中年期に転機を迎えた偉人たちは、その成功の裏にどんな不安があり、どんな葛藤があったのでしょうか。私も今年で40代の折り返し地点に差しかかります。本書を通じて、より生き生きと自分らしく過ごすポイントを探りながら、人生の後期を共に楽しみましょう。
【参考文献】
『カール・マルクスの生涯』(フランシス・ウィーン著、田口俊樹訳/朝日新聞社)
『雑学 世界の有名人、最期の言葉』(レイ・ロビンソン編、畔上司訳/ソニー・マガジンズ)
『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』(真山知幸著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)