カール・マルクスの仕事風景カール・マルクスの仕事風景(写真:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ)

「ミッドライフクライシス(中年期の危機)」と呼ばれるように、40~50代は仕事でもプライベートでも責任を背負わされたり、困難に見舞われたりしやすい時期。歴史に名を残す偉人たちもまた例外ではなく、中年期にさまざまな壁にぶつかっている。しかし、人生の後半を自分らしく充実した日々にするためには、中年期や老年期にどれだけ挑戦できるかにかかっていると言っても過言ではない。経済学者のカール・マルクスもそうだった。マルクスが、今なお注目されている名著『資本論』を書き上げたのは、49歳の時のこと。しかし、発表当初の反響は意外にも散々なものだったという。マルクスの人生における転換期を解説する。

(*)本稿は『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』(真山知幸著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・再編集したものです。

原稿の〆切をまったく守れない“ダメ男”だった27歳のマルクス

 年齢を重ねるにつれて、過去の経験からつい「自分の限界」を決めてしまいがちです。そのことが、40代や50代という中年期を前向きに過ごすことを難しくしているように思います。

 しかし、失敗や挫折の連続でも、自分に失望さえしなければ、たとえ何歳になろうとも、思いがけないほど遠い場所までたどり着けることもあります。

 経済学者のカール・マルクスは、人生でなすべきミッションが、早くから見えていたのでしょう。のちに世界中に影響を与える「マルクス経済学」について、27歳の時点でこう話しています。

「経済学の論文は、もうすでに完成しているんだ」

 それを聞いた周囲の友人たちは大いに期待しました。ところが、そこから実に13年にわたって、マルクスはこの宣言を繰り返すのみで、何もしませんでした。40歳を目前にして、ようやく具体的な構想を明かしています。

「私が現在取り組んでいるのは、経済のカテゴリーに関する批判、あるいは、こう言ったほうがよければ、ブルジョワ経済のシステムに関する批判的考察です……全体で6巻になります」

 6巻となると、相当な大作です。これが1858年の春のことで、マルクスは「5月には最初の巻を出し、その後、数カ月で第2巻を出します」と出版社に約束しています。ようやく具体的に執筆が進められるか……に見えました。

 しかし、4月2日の時点で、2歳年下の盟友フリードリヒ・エンゲルスに自身の病状を訴えはじめます。

「この不調は悲惨なまでにひどい。回復して指が動かせるようになり、手に握力が戻るまでは、とても仕事などできそうにない」

 なんでも、胆汁症の不定愁訴に苦しんで「考えることも読むことも書くことも、実際のところ、何をすることもできないでいる」と言います。11月頃には、マルクスは出版社への手紙で「いかに自分がこの作品に人生をかけているか」を熱弁しながら、こんなことを書きました。

「ただ書きはじめさえすれば、4週間で完成できると思います」

 〆切から半年が過ぎて、まだ書きはじめてもいなかったとは……。マルクスがすごいのは、どんなときも決して自分に失望しないこと。この言葉も、自身では何ら疑いを抱いていなかったことでしょう。

 そこから2カ月後の1月後半に、ようやく原稿が完成します。しかし、原稿を渡されたエンゲルスは、マルクスの口から信じがたいことを聞かされます。

「タイトルは『資本概説』だけど、資本に関することはまだ何も書いていない」

 できたという原稿は1冊にするにはページが少なく、しかも原稿の大半は、ほかの経済学者の批判ばかり。肝心のマルクスの自説については、自伝のような序文だけ。原稿は予定どおりに第1巻として出版はされたものの、よい反響は得られませんでした。楽しみに待っていたマルクスのファンからは、こんな声さえ上がりました。

「これほどがっかりさせられた作品はほかにない」

 散々待たされた挙げ句に期待外れの内容だったならば、批判も当然のことです。こんないい加減な男がのちに歴史的大著を残すとは、誰も想像しなかったでしょう。そんななか、ただ一人だけ、マルクスが持つ大きな可能性を信じていた人がいました。

 誰よりもマルクスのことをよく知る、エンゲルスです。