(4)アブラハム合意
2020年8月15日、イスラエル・アラブ首長国連邦(UAE)間で国交正常化を含む「アブラハム合意」が成立した。
1カ月後の9月11日にはバーレーンが、12月10日にはスーダンとモロッコがイスラエルとの国交樹立に合意したことが発表された。
こうして、短期間にアラブ諸国4カ国がイスラエルとの国交樹立に合意した。
「アブラハム合意」の名称の由来は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教の共通の祖先アブラハムにある。
アラブ人とユダヤ人は中東戦争で長年戦ってきたが、合意には、アラブ人とユダヤ人はアブラハムという共通の祖先の子孫であることが明記されている。
アブラハム合意は、中東のイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒らの共存を呼びかけている。
当初は、UAEとイスラエルの国交正常化を指していた「アブラハム合意」が、その後バーレーンやスーダン、モロッコがこれに倣ってイスラエルとの関係正常化に踏み出した現象を総括してアブラハム合意と呼ばれることがある。
この成果は、仲介を行ったトランプ米大統領のレガシーである。そして、国交樹立に合意したアラブ諸国は、米国から見返りを得た。
UAEは、米国から「F-35」戦闘機を購入できる見込みになった。
スーダンが得た見返りは、米国によるテロ支援国指定の解除である。
モロッコが得た見返りは、モロッコの西サハラに対する主権を米国が承認したことである。
また、ペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランに脅威を感じているバーレーンは、「敵の敵は味方」という考えからイスラエルとの国交樹立を図ったものと思われる。
2020年のこの一連の国交樹立は、イスラエル・パレスチナ間の和平交渉の進展とは無関係に実現した。
これは、UAEなどのアラブ諸国が、イスラエル・パレスチナ間の和平交渉の進展とイスラエル・アラブ諸国間の国交樹立をリンケージさせる従来の立場を脱却したことを意味する。
それでも、一連の国交樹立は、ほかのアラブ諸国からほぼ非難されなかった。
逆に、UAEとイスラエルの国交樹立合意直後の2020年9月、サウジアラビアは、UAEと行き来するすべての航空機に、領空通過を許可した。
これは実質的に、イスラエル・UAE間を運航する航空機への領空通過許可である。
つまり、サウジアラビアは、イスラエルと国交を結んだUAEにむしろ便宜を図った。
この事実は、まだイスラエルと国交を持たないアラブ諸国も、「イスラエル・パレスチナ間の和平交渉の進展とは無関係にアラブ諸国はイスラエルと国交を樹立してよい」と認識していることを含意する。
かつて、エジプトがイスラエルと国交を結んだ際、対外的にはアラブ諸国からボイコットされ、国内では大統領が暗殺された。
だが、2020年にイスラエルと国交を樹立した国々は、不利益を被らず、ほぼ利益だけを得ている。
そのため、他のアラブ諸国も今後、イスラエルとの国交樹立に踏み切る可能性があると見られている。
(5)筆者コメント
アラブ諸国は近年、イスラエルに接近し、2020年にUAEなどが国交を正常化した。
そこで優先されたのは、パレスチナ国家樹立の「大義」よりも安全保障や経済面での実利だった。
このような変化をもたらした要因として次の4つが考えられる。
①アラブ諸国は、イスラエルと4次の中東戦争で戦ってきたが、イスラエルには戦争では勝てないと思っている。
②パレスチナ人の多くはパレスチナ自治政府(PA)を腐敗した無能な組織と見なしており、PAは徐々にではあるが確実に、かつては盤石だった近隣諸国からの政治的・財政的支援の多くを失ってしまった。
③中東からの米軍撤退など中東におけるパワーバランスの変化により、イランの存在が非常に大きくなってきた。
イランを脅威と感じるアラブ諸国は、イスラエルを「敵の敵は味方」と見ている。
④脱石油依存を目指すアラブ諸国にとってイスラエルの経済力や高いIT技術力は魅力的である。
以上のことから、サウジアラビアなど他のアラブ諸国も今後、イスラエルとの国交樹立に踏み切る可能性があると筆者は見ている。