自民党総裁選の立候補者たちは、いったい誰のほうを向いているか

 こうした内容を踏まえながら、我々の眼前で繰り広げられている、そして最多の9人の候補者が立候補した自民党総裁選を思い返してみたい。果たして公論が語られているだろうか。彼ら、彼女らはいったい誰のほうを向いているのだろうか。

 コロナ禍が色濃く残る2021年に行われた前回自民党総裁選でzoomやYouTubeをうまく組み合わせたネットでの広報手法が広まった。こうした番組は今でも自民党のチャンネルなどで確認できるが、数十万回以上再生されている。

 政治に関するような番組は以前は人気がないとされていたが、最近ではそれなりに再生回数が期待できるようになっている。単純に視聴率と比較することはできないが、数十万回〜数百万回再生という再生回数とテレビの政治番組のどちらが影響力を持っているだろうか。後者も看過できなくなっている。

 2024年東京都知事選における石丸伸二候補のように、政治のキャリアが短く、地元でもない候補者が参院東京選挙区のトップ当選の得票数を上回るような得票を集めたり、その他の公選法の想定していない制度の隙を突いたりする手法を組み合わせたりする事例も散見されるようになっている。

 いま、多くの自民党総裁選候補者たちが、それから立憲民主党代表選挙の候補者たちが、ネットで、SNSで、マスメディアで「議論」を戦わせている。だが、本当にそれは論戦であり、公論といえるだろうか。

 
日本記者クラブでの討論会でキャッチフレーズを掲げる自民党総裁選の候補者たち。SNSで自己発信する候補者も多いが、真に国民が求める声に応えているだろうか(写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 日本記者クラブでの討論会でキャッチフレーズを掲げる自民党総裁選の候補者たち。SNSで自己発信する候補者も多いが、真に国民が求める声に応えているだろうか(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
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 情報量が多くなり、接触頻度が増し、多くの人が共通で見る媒体、かつてのマスメディアが退潮するなかで、候補者たちは自分たちの顧客のほうをばかり向いている。

 ネット討論会や自分の媒体では威勢のよい言葉や、「政治改革の決意」を小気味よいキャッチコピーで弁舌さわやかにずいぶん熱心に語る一方で、人目につかなくなったテレビの伝統的討論会で政治とカネの疑惑の再調査に同意する者は誰もいないといった有り様だ。自民党それ自体、党則やガバナンスコードを遵守できていなかったにもかかわらず、党内で総裁選のルール遵守をめぐって醜聞を晒している。

 いうまでもないことだが、憲法が規定するように、国会議員は自民党やその他政党に所属する以前にそもそも全国民の代表である。そのことを踏まえて、残りの期間、公論に資する議論を尽くしてほしい。

 もちろんそんな青臭い願いが叶うような甘っちょろい世界であれば、眼前のような政治の危機が生じていないだろう。むろんそのとおりなのだが、建前が堂々と死文化するようであれば、お話にもならない。

 そんなことを思いつつ、いまいちど建前を唱えて締めることにしたい。