振り返れば中国の大きな岐路になった天安門事件
チベット自治区もまた信仰と共に暮らす美しい地域だ。
ここに暮らすチベット人も長く自治を奪われ、圧政の下で信仰の自由までも奪われている。
習近平政権は人々が活仏として今なお敬愛するダライ・ラマ14世の存在を国の体制の敵と危険視し、ダライ・ラマの肖像写真を持つことすら禁止した。仏教寺院も監視カメラで見張られている。
個人の心の拠り所である信仰、そして民族の文化。悠久の歴史の中で繰り返されてきた人々の暮らしは、ひたすら強さのみを求める今の中国では何の値うちもないもののだろうか。
亡命中のダライ・ラマ14世は何度も日本を訪れている。その取材中、目の前のダライ・ラマに質問した事がある。
「私はチベットへは一度も行ったことはありませんが、どんなところですか?」
するとダライ・ラマは穏やかな声で答えてくれた。
「チベットの澄み切った空気のように、みな素朴で心の美しい人たちが住んでいるところです」
その時、思わず写真を撮るのを忘れ、合掌してしまった。それ程に強いオーラを放つダライ・ラマを中国が恐れるのも無理はない。信仰には歴史があるのだ。世界最古の文明から4000年の歴史を持つ中国。
そして100年の歴史の中国共産党。多彩な民族性や信仰を否定し、さらに国民の言論の自由までも束縛して中国はこれから新たな一歩をどこに踏み出していくのだろうか。
あの天安門事件はその後の中国の道筋の別れ道だったのかもしれない。