もはや「言論の自由」を求める声さえ上がらなくなった中国

 その直感はほぼ当たっていたと思う。2012年、習近平は党、国家、軍の全ての権力を掌握して新しいリーダーになり、それまでのリーダーがなしえなかった「ひたすらに強い中国」を作り上げようとした。そのためなら人情などは二の次だ。党による統制が強化され、メディアへの圧力・言論弾圧も強まった。市民はハイテクを駆使した監視システムで徹底的に管理され、反体制の人間は次々と逮捕された。

 かつて胡耀邦は、かつて毛沢東が共産党への批判を歓迎する意味で短期間だけ提唱した「百花斉放・百家争鳴」のスローガンを再提唱し、言論の自由化を推進した。そしてそれがあの天安門事件の導火線となった。しかし、今の中国にはその文化さえ育たない。

 もしかしたら、習近平という人物はひたすらに真面目で努力の人なのかもしれない。ひとつの問題を解決するためには徹底的に戦う人なのだろう。そして彼は社会主義の理念の基にその強いリーダーシップで世界と戦っている。しかしいつも思う事だが、社会主義の理念と人権の迫害はどこで結びつくのだろう。

 習体制になってから新疆ウイグル自治区への締め付けはさらに強化された。今や1000万人の人口の一割にあたる100万人のウイグル人が“再教育キャンプ”に収容され、そこでは女性の不妊手術、虐待が日常的に行われているという。これはもう“民族浄化”だ。

 2009年、習近平の来日に合わせて、「世界ウイグル会議」のラビア・カーデル氏が来日し、新疆ウイグル自治区の惨状を訴えた。その後、世界の世論は「人権弾圧を直ちに止めよ」と声を上げ続けているが、習近平は「不当な内政干渉だ」と取り合うそぶりも見せない。

ウイグル人の人権尊重を訴える世界ウイグル人会議のラビア・カ―デル氏(写真:橋本 昇)
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 80年代、ウイグル人の老人がずっと遥か先まで続く一本道をロバの荷馬車に揺られていく映像を見た。まさに夢街道というロマンをかき立てる光景だった。そんなロマンももはや砂漠の風に吹かれて消えてしまった。