暴走する「革命」
「革命は、客を招いてごちそうをすることでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。革命は、暴力であり、一つの階級が他の階級を覆す活動である」——毛沢東の言葉だ。
あれは受験勉強中の1968年、深夜ラジオを聴いていると突然「こちらは北京放送局です」という電波が割り込んできた。当時、革命に漠然とした憧れを持つ高校生だった私は一心に耳を傾けた。その頃、学園紛争が激しかった日本でも“造反有理”というスローガンが叫ばれ、毛沢東に共感する学生は多かった。
「アメリカ帝国主義は張子の虎である」
革命は続いている・・・心は震えた。
中国では文化大革命という嵐が吹き荒れていた。中心となったのは紅衛兵と呼ばれる血気盛んな10代20代の若者。彼らはカーキ色の人民服、人民帽という格好で赤い表紙の小冊子「毛沢東語録」を片手で振りかざし口々に叫んでいた。「毛沢東思想万歳!」。
そして、多くの党幹部たちが粛清され、社会から抹殺された。劉少奇国家主席も反革命という罪で投獄され、獄中で病死した。
後に天安門事件で弾圧の主役となる鄧小平も「走資派」のレッテルを貼られ失脚した。“走資派”とは字のとおり「社会主義を支持するふりをしながら資本主義を回復しようとする者」のことで、“党内資産階級”とも呼ばれた。要するに、格差社会を生む元凶ということだ。紅衛兵が「走資派」と呼び、その鉾先を向けたのは党中央委員会幹部、各省の革命委員会、大学や職場などの幹部たちだった。劉少奇や彭真北京市長などの最高幹部たちも、とんがり帽子を被せられ、首から「ブルジョア分子」「反革命分子」と書かれたプラカードをぶら下げさせられ、通りに引き出された。
すべての伝統的な文化、思想も否定された。そしてそれに伴って夥しい数の人間の死があった。