汚れた靴下が守り抜いた4本のフィルム
その夜、窓ガラスが小刻みに音をたて眼が覚めた。窓から通りを覗いて見ると、向こうからかなりの数の戦車が排気煙を噴き出しながらこっちに向かっていた。カメラを隠し持って通りに出た。
30台ほどの戦車が地響きをたて、「ガラガラガラ」とディーゼル音を轟かせながら通り過ぎようとしていた。するとやはり何事かと飛び出して来た一人の寝間着姿の男が、その光景に恐ろしくなったのか突然、万歳三唱を始めた。唖然としたが、やはり人間は恐怖政治には逆らえないのだと実感した。その様子も写真に収めたが、これでは到底、学生たちに勝ち目はないと実感した。
報道は完全にコントロールされていた。テレビも新聞も当局からの厳しい検閲を受けていた。今の北京で何が起こっているのか、11億の国民には知るすべもない。外国の報道も手足をもがれて動きが取れない。
北京駅の近くの広場で人々が輪をつくっていた。人垣の間から覗くと、二人の若者が兵士達に殴られていた。若者が鼻血を出して地面に倒れた。それでも暴行を止めない。
鞄からライカカメラを取り出して隠し撮りをした。心臓の鼓動が激しく打った。その時、兵士の一人と眼が合った。しまった! 気づかれた。二人の兵士が目の前にやって来て何やら喚いた。言葉が解からないふりをしたので、ますます怪しまれた。鞄を取り上げられ、中のカメラが見つかった。
「おまえは何者だ?」と言っているらしいが言葉で返せない。地面に“日本人民観光旅行”と書いた。まず連行されると覚悟したが、今まで写したフィルムを没収され、解放された。
ANAの臨時便が来るというので、そこで取材を切り上げた。結局撮影出来たのはフィルム4本分だけだった。出国の荷物検査は徹底していたが、とても厳しかった。荷物の一つ一つを調べ上げられた。汚い靴下の詰まったビニール袋を開けた女性検査官はあまりの匂いに顔をしかめ、中を見ることもなく、そのままバッグに放り込んだ。4本のフィルムはこうして持ち出すことができた。