(フォトグラファー:橋本 昇)
これまで多くの火山噴火災害を取材してきたが、今も脳裏に鮮明に残る光景がある。それは1986年11月の伊豆大島・三原山噴火の光景だ。美しいと思った。本当に美しかったのだ。
あの時、私は取材位置に指定された場所を無視して、地元の人から火口に近づく別ルートを教えてもらい、夜の闇にまぎれて火口を目指してこっそりと進んでいた。しばらく行くと火口に続く平原に出た。雲の消えた夜空には満月が輝き、草原と、そこにぽっかりと口を開けた火口を照らしていた。火口からは地鳴りと共に、溶岩が天に向かって噴き上げている。
噴き上がる火柱に吸い寄せられるように火口へと進んだ。危険だという意識はもはや消えていた。音を立てて噴き上がるマグマ。神々しいまでの地球の営み。地球の怒り。火口のふちを登って行くにつれ、噴き上がる溶岩が今にも自分に降りかかるような恐怖も感じたが、この先二度とは見られないであろう光景に出会えたことへの感動が全身を駆け巡っていた。それはまさに息を呑む光景だった。
危機一髪、望遠レンズを放り出して避難
1週間後、事態は急変した。三原山は怒り狂う山に変貌した。噴火の割れ目が本来の火口から山腹へと広がったのだ。取材拠点だった御神火茶屋でも、目の前に迫ってくる割れ目噴火にパニックが起こったという。
知り合いのカメラマンは、パトカーのボンネットにしがみついて避難した。また別のカメラマンは「噴火口に近づこうと茶屋を下って行ったら、突然目の前でマグマが噴き上がったんだ。重い望遠レンズを棄てて、もう八艘飛びで逃げたよ。レンズはきっと溶けてしまっただろうけど、自分が溶けずによかったよ」
と、興奮冷めやらずで、その時の様子を話した。
その溶岩流は町へと迫ってきた。11月21日、一万人の島民は約38隻の船に分乗し、全島避難した。全島民が避難する災害は全国で初めてだったが、一人の死者はおろか、ケガ人も出なかったことは奇跡といってもいいだろう。