誰もが一度は読んだことがあるだろう、鎌倉時代後期の随筆『徒然草』。243段ある作品のうち、学校で習うのは教訓のような話だが、実際には驚くほど“くだらない”話がたくさん載っているという。文芸評論家の三宅香帆さんと、高校で古典を教えたことがある谷頭和希さんの二人の会話から、学校ではなかなか教えてくれない、古典文学をおもしろく読む「コツ」を紹介する。(JBpress編集部)
(三宅香帆、谷頭和希)
※本稿は『実はおもしろい古典のはなし: 「古典の授業?寝てたよ!」というあなたに読んでほしい』(三宅香帆、谷頭和希著、笠間書院)より一部抜粋・再編集したものです。
オチもない「どうでもいい話」の寄せ集め
三宅:今回実は『徒然草』*全文を初めて読んだのですが、思ったより「本当にどうでもいいエピソード」が大量にあって驚きました。
*『徒然草』
鎌倉時代後期の243段からなる随筆。1330~1331年頃成立。作者は兼好法師。内容に応じて和文や和漢混交文で書かれている。
『徒然草』って教科書で扱うような有名なエピソードはしっかりオチがついているし、とんちが効いた話も多いイメージだったんですけど、全243段読んでみると、本当にオチも何もない、「何なんだ、この話」みたいなものがたくさんある。近所のおばあちゃんに久しぶりに会ったときに喋られたオチのない話……みたいな印象を受けました。
谷頭:そうなんですよね。40段の「ある女性がいて、周囲からプロポーズされたんだけど、その女性が栗しか食べなくて、それはやばいぞって父親が結婚をとめていた話」とか。
三宅:それ面白かったですね。『徒然草』は随筆ですが、人から聞いたエピソード集の側面が強いように感じました。
兼好法師がとりあえず聞いた話を書き留めておくためのメモ帳かな? と。だから「こんな話を聞いた」とだけ書かれてあることもしばしば。彼はどんなつもりで書いたんだろう。
谷頭:彼自身は人に読ませようと思って書いていなかったのかも。徒然草がちゃんと他人に読まれたのって、彼が亡くなってから、100年後くらいだったし。でも、いつしか広く読まれるようになって、江戸時代では古典中の古典になった。
三宅:室町中期に僧侶の正徹(しょうてつ)が写したことで広まった、といわれます。正徹の弟子に連歌師や歌人がいたから、その人たちが読んでいた、と。でも正直兼好法師に和歌の情緒があるかというと謎です。『徒然草』を読めば読むほどなぜこんなに広く読まれたのか不思議になるくらい、とらえどころがない。
谷頭:でもやっぱりエピソード自体がたくさんあったのも大きかったと思うんですよ。中でも「仁和寺にある法師」みたいな教訓エピソードはわかりやすい。「知ったかぶりして失敗しちゃったから、知ったかぶりはしない方がいいね」みたいな話です。
こういった、人々に聞かせるようなわかりやすい教訓話もあったから、全243段の中からそこが抜き出されて流布したのかなと思うんですよね。読んだ人がそれぞれ好きなように、都合よく使えた文集だったんじゃないかと。
三宅:グリム童話みたいなもんだったんですかね。
谷頭:教科書とかでとり上げられるのもそういう教訓っぽい話が多いけど、全部読むと、案外くだらないものが多い。