「迷っているなら今すぐ出家すべき」

三宅:私が面白いなと思ったのは、『徒然草』59段に「出家をするなら迷っている暇はない。もう今すぐ出家すべき」と書いてあるところ。大真面目に教訓らしく書いてあるんですけど、現代の自己啓発本にノリが近いね。「あと回しにするな。やりたいことは今すぐやれ」みたいな。出家って一大事だと思うのに。

 そんな世捨て人になるなんてことを、自己啓発みたいなノリですすめていて、面白すぎる。好きですねえ。言ってしまえば兼好法師の微妙な無責任さも見える。無責任で、だからこそ適当なことを書ける軽いノリ、という空気感は『徒然草』全体に広がっている印象です。

谷頭:僕が面白いなと思ったのは、117段で「いい友達の条件3つ」を語るところですね。1つ目が物をくれる友人、2つ目が医者、3つ目が知恵のある者って書かれていて、医者・知恵のある人はわかるんですけど、最初が「物をくれる人」ってなんだよ(笑)。

 ちなみにその前に「友とするのに悪い人7つ」も書かれていて、これは1つ目が高貴な身分の人、2つ目が若い人、3つ目が健康で頑強な人、4つ目が酒を飲む人、5つ目が勇猛な武者、6つ目が嘘をつく人、7つ目には欲の深い人。仏教的な考えとして理解できる部分もあるんだけど、ただ、総じて兼好法師って、陰キャだなって思うんですよね。キラキラしているものに対する否定が強い。

西川祐信画『絵本徒然草 3巻』(菊屋喜兵衛、元文5[1740])より。国立国会図書館デジタルコレクション所蔵(https://dl.ndl.go.jp/pid/2534221

仏身が出てくる教訓話は、ほとんど嘘

三宅:あと兼好法師って、法師なのに仏教に対して真面目じゃないところがありますよね。

 73段で「仏身が出てくる教訓エピソードは、ほとんど嘘。でも嘘って相手に言うのも大人げないから、信じずに心の中で疑ってちょっとあざけっておこう。それが一番だ」と書いていて、笑いました。

 処世術みたいなノリで書いていますが、「君は法師ではないのか」「それを書いていいのか」と(笑)。全体的に、仏教や教訓説話について、意外と話半分に聞いている感じがします。その辺に人間味を感じて好きだなーと思いました。

谷頭:徒然草が書かれたのは鎌倉後期だけど、鎌倉時代は新仏教が多くできていた時代なんですよね。平安時代の末期ぐらいから仏教界が腐敗してきて、それに対するアンチテーゼとして新仏教が出てきた。つまり、メインストリームの仏教界は堕落・腐敗していて、兼好もそういう仏教の世界をみていたんじゃないかな、と。想像ですけれど。

 ただ、兼好はそれをマジメに批判するのではなくて、諧謔(かいぎゃく)性やテンションの軽さを持って書いていくところもあって。そこは江戸の文人が文学を通して幕府を軽妙に批判したスタイルに近いのかもしれない。