おじさんの恋は気持ち悪い。そして切ない。
少子化・高齢化・晩婚化ニッポン。迫りくる老い、平凡でストレス過多の日常。そんなおじさんの心に舞い降りた恋は、果たして地獄か楽園か。さまざまな中高年男子の恋模様を通して、人生100年時代の恋について考えてみよう。
(若月 澪子:フリーライター)
教科書に載っている「こじらせおじさん」
「文春砲」が、また一組の夫婦の終わりを告げている。熟年層の離婚件数は過去最多。その一方で生涯未婚率も過去最多。どうもこの国は愛をこじらせている。
そう思っていたら、700年前のおじさんが、こんなことを言っていた。
妻といふ物こそ、男の持つまじき物なれ。(徒然草 百九十段)
「男は妻を持ってはならない!」と『徒然草』の兼好は言う。「ずっと同じ女と一緒にいたら新鮮さがなくなり、家庭内離婚みたいになるから」。
なかなか言いにくいことを、ハッキリ言いなさる。
兼好が生きていたのは鎌倉から南北朝時代、人生100年どころか50年か40年の時代だ。それでも「妻なんて無理ゲー」と言っている。
その言葉通り、兼好は生涯で一度も結婚をしていない。独身主義者、兼好の妻帯者への攻撃は続く。
「『ダレ誰が結婚した』『同棲してます』とか聞くと、マジ引くわ。どうせたいした女じゃないくせにメロメロになっちゃってさ。めっちゃイイ女と結婚したってドヤるヤツも、だから何?ってかんじ」(『徒然草』百九十段の乱暴超訳)
兼好は「もののあはれ」おじさんなので、所帯じみた「幸せいっぱい」が大嫌いなのだ。彼の理想の男女関係といえばこちら。
逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契をかこち、長夜をひとり明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。(徒然草 百三十七段)
「結ばれずに終わった、という悲しいのがいい。ぼっちで昔の思い出を懐かしむのが、本当の大人の男だからね」(筆者の乱暴超訳)
兼好自身、だいぶこじらせている。どういう痛い失恋をすると、こういうこじらせ方になるのだろうか。
とはいえ兼好は、恋愛を否定しているわけではない。