上空から見た溶岩ドーム崩壊の瞬間

 火砕流に飲み込まれて亡くなったカメラマンの中には旧知の人も何人かいる。

 毎日新聞九州本社写真部長を退職して、新潮社フォーカス誌の契約カメラマンをしていた大先輩の土谷忠臣さんもその一人だ。土谷さんは生涯現場主義の硬派カメラマンで、「新聞・雑誌ならどこだっていい、カメラで飯が喰えればそれでいい」と常に言っていた。好奇心旺盛な人だったが、それだけリスクと隣り合わせという生き方だった。後日発見された遺体の腕に巻かれていたロレックスの腕時計が身元判明の手がかりになったという。

 現地に入って二日目、大村空港からセスナ機で溶岩ドームの周辺を飛んだ。周回飛行の何度目かに突然眼下の溶岩ドームが崩れ、大きな火砕流となって山裾めがけて駆け下っていった。火砕流はみるみる周辺の自然林を消し走り、海岸部に向かって一本の荒涼とした道筋を描いていった。

普賢岳にて発生直後の火砕流(写真:橋本 昇)
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 大火砕流に襲われた無人の村は、上空から見ると一面灰色に変わり果てていた。改めてこの大惨事の恐ろしさを感じた。

山裾へ向かって駆け下る火砕流(写真:橋本 昇)
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「大火砕流が直撃した村の家のほとんどは焼け、残った家も高熱の灰を被り、ひと目でもう住めないと思いました。道路に乗り捨てられた車も、フレームだけを残して焼けている。一台一台、兵員輸送車を降りて見張りを立てて、車の中を捜索しています」

 と、捜索隊員が語った。

行方不明者を捜索する自衛隊員も命がけ(写真:橋本 昇)
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