1980年代後半、韓国では民主化を目指す学生運動が大きなムーブメントを起こした。彼らは、運動を押さえつけようとする機動隊に、火炎ビン、拳大の石、鉄パイプなどを武器に抵抗した(写真:橋本昇)
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(フォトグラファー:橋本 昇)

 1980年代後半といえば、日本ではバブル真っ盛りの時代。我々が学生の頃に盛んだった学生運動はすっかり鳴りを潜め、国中が海外旅行、グルメだとそわそわしていた。

 一方その頃、すぐ隣の韓国は、学生運動をはじめとする民主化運動が国を揺るがす、まさに激動の時代のさなかにあった。連日のように大学キャンパスで開かれる学生集会。学生と機動隊の衝突。学生たちは火炎ビンを投げ、石を投げた。あの時代、どこの大学からも叫びが聞こえて来た。女子大からも赤いバンダナで覆面をした女学生たちが火炎ビンを手に飛び出してきた。

 彼らは何を訴えていたのだろうか? 当時、足繁く韓国に渡り取材した当時の学生たちの思いを綴ってみたい。

「僕はチョッパリの男が嫌いだ」

「日本の写真記者でしょう? あなたには悪いけど、僕は本当にチョッパリの男たちが嫌いだ」

 ソウルにある延世大学での学生集会。取材で訪れたところ、背中越しに誰かが声をかけて来た。いきなり向けられた厳しい言葉に振り向くと一人の学生と目が合った。「チョッパリ」とは韓国人が使う日本人の蔑称だ。その射抜くような目は真っ直ぐにこちらへ向けられている。

 懐かしい目だった。「もう20年近くも前、あの頃は我々もこんな目をしていたのか・・・」。そんな思いが胸をよぎった。

 もとより日本人が韓国人に好かれているとは思っていなかった。それにしても韓国の学生たちの“日本嫌い”は予想をはるかに越えていた。いきなりの先制パンチに、シャッターボタンに乗せた指が止まった。

 当時の日本の文部大臣の発言も韓国の国民の神経を逆なでしていたようだ。

「韓国併合は合意の上だった。それについては韓国にも責任がある」

 そのコメントを載せた『文藝春秋』に学生たちは激しく反発していた。見ると、向こうで『文藝春秋』の腕章を巻いたカメラマンが数人の学生に小突かれていた。