共に民主党の李在明代表(写真:AP/アフロ)

(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

 4月4日、韓国の憲法裁判所は尹錫悦大統領に対する弾劾裁判の判決を言い渡し、同大統領は即日罷免され失職した。これにより、当面は韓悳洙(ハン・ドクス)国務総理が大統領代行を務めることになるが、60日以内に大統領選挙が実施される見通しである(6月3日が有力視されている)。

 現在の世論調査では、「共に民主党」代表の李在明氏が他候補を大きくリードし、最有力と目されている。しかし、選挙までには2カ月あり、韓国政治のダイナミズムを考慮すれば、情勢が一変する可能性も否定できない。

 非常戒厳の発令から弾劾に至る経緯を振り返りつつ、大統領選の行方を展望してみたい。

大統領弾劾──激化する保革対立の帰結

 韓国は、保守と革新の対立が根深い国である。日本とは異なり、革新勢力に対する市民の支持は一定の根強さを持つ。

 たとえば、日本では1972年の連合赤軍による「あさま山荘事件」などにより、革新勢力に対する社会的な拒否感が強まった。一方、韓国では1980年の光州事件において、軍事政権による市民・学生への武力弾圧に抵抗した民主・革新勢力が民主化の象徴として認識されるようになった。特にその時代に教育を受けた40〜50代の市民には革新支持が多く、今や韓国社会の中心を担っている層となっている。

 こうした背景のもとで政権を担った尹大統領は、昨年の総選挙以降、野党による国会での強い抵抗に直面した。年金、社会、教育改革に関連する法案が成立できず、閣僚の弾劾が相次ぎ、予算案すら通らない事態となっていた。

 その一方で、尹氏は文在寅政権時代の不正調査を積極的に推進した。するとそれに反発する共に民主党は、監査院長やソウル中央地検長らの弾劾訴追案を国会に提出するという挙に出た。

 追い詰められた尹氏が、非常戒厳を宣布するのはその翌日である。韓国の制度には日本のような「国会解散権」がなく、相互牽制の仕組みが不十分である。そのため、行政府と立法府が深刻に対立した場合、現状打破の手段が限られ、非常戒厳という極端な手段に訴えざるを得なくなったという側面がある。日本型の制度があれば、こうした事態は回避できたかもしれない。

昨年12月12日、非常戒厳を解除し国民に向けて演説する尹錫悦大統領(提供:Korean Presidential Office/ロイター/アフロ)

 加えて、検事出身である尹大統領には「独断的」「強権的」というイメージがつきまとっていた。その中で非常戒厳という軍事政権を想起させる措置が、国民の反発を呼び、結果的に過半数が弾劾に賛成することとなった。