撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

5つの櫓の見所

「江戸城を知る」シリーズ、今回からはテーマ別に江戸城の見所を紹介してゆこう。手始めに櫓である。

 江戸城には3棟の隅櫓(三重櫓1棟、二重櫓2棟)と、2棟の多聞櫓が残っている。いずれも重要文化財クラスのすぐれた建物だが、指定は受けていない。皇居の敷地内にあって、皇室財産の扱いだからである。

 しかも、隅櫓・多聞櫓合わせて計5棟というのはけっこうな残存数なのだが、それらが異常に広大な城地のあちこちに、ぽつんぽつんと建っているので、なんとなく建物があまり残っていない印象になってしまう。そんなパッと見の印象に惑わされていてはもったいないので、じっくり鑑賞してみよう。

富士見櫓

写真1:西の丸側から見た富士見櫓。本丸の南端に建つ堂々たる三重櫓だ

 まずは何といっても富士見櫓。江戸城を代表する堂々たる三重櫓で、ちょっとした天守くらいのボリュームがある。最初にこの場所にあった櫓は明暦の大火(明暦3年・1657)で焼失し、万治2年(1659)に再建されたものと伝わる。大火で天守が失われた後は、将軍がこの櫓から富士山や両国の花火などを眺めたという。

 隅櫓とは本来は鉄炮を配備する戦闘拠点、軍事用語でいうなら「強化火点」なので、外側に面する2面にのみ窓を開き、内側には排煙用に最小限の窓しか設けないのが普通だ。破風などの装飾も外面のみとするものだが、江戸城の富士見櫓は4面それぞれに意匠を凝らしている。これは、本丸の南端という目立つ位置に建っているためで、おかげて眺める角度によって印象が変わって面白い。

写真2:本丸の中から見た富士見櫓。曲輪の内側に向けて複数の窓を開く櫓は珍しい

 普段は見るアングルが限られるものの、年に2度(春と秋)行われる乾門通り抜けの時には、西の丸側から間近に見上げることができる(写真2)。また、本丸の内側からならいつでも見られるので、それぞれの機会に違うアングルを楽しむとよい。

 なお、現在江戸城に残る三重櫓はこれ1棟だけだが、本当は本丸・二の丸の要所要所に三重櫓が聳えていた。大河ドラマでは、その威容をCG再現したシーンが出てくるので、気を付けて見ているとよいだろう。

写真3:二の丸の南端にある櫓台。かつては蓮池巽三重櫓(桜田三重櫓)が威容を誇っていた

富士見多聞櫓(御休息所前多聞) 

写真4:本丸に西面にある富士見多聞櫓

 本丸の石垣上にずらりと並んでいた多聞櫓のうち、1基だけ生き残っているのが富士見多聞櫓。本来は御休息所前多聞と呼ばれていたようだが、これは本丸御殿の「御休息所」という建物の近くにあったことによる。富士見櫓と同じ時期に建てられたようだ。

 皇居東御苑に入って本丸の中を散策していると、この多聞櫓は木立の奥にあるので目立たない。気づかずにスルーしてしまう人も多いが、城好きなら見落とすのは恥である。なぜなら、江戸城の現存建物の中で唯一、内部が一般公開されている櫓だからだ。

 内部に入ってみると、万治年間の建物だけあって木組みは整然としていて、江戸初期の櫓のような荒々しさはない。とはいえ、多聞櫓はやはり多聞櫓。窓から外を眺めてみると、この櫓がずいぶんと高い石垣の上に載っていることがわかる。直下は蓮池堀と呼ばれる水堀だ。仮に戦闘となったら、西の丸を制圧して本丸に向かってくる敵を、蓮池堀で足止めして、ここから鉄炮で仕留める……そんな妄想が立ち上ってしまう場所である。

 写真4は、妄想シーンにおける攻城兵の視点で眺めた富士見多聞櫓。春と秋の乾門通り抜けの時には、このアングルを楽しむことができる。しかも、この多聞櫓が単体で建っていたのではなく、石垣の上には何棟もの多聞櫓や三重櫓がずらっと並んでいたのだから、さぞ鉄壁の防禦ラインだったことだろう。

写真5:蓮池堀に面する本丸西面の高石垣の上には、かつては隅櫓や多聞櫓が並んでいた