江戸城 撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回の「江戸城を知る」シリーズとして、江戸城の城門の中でも田安門と清水門の魅力を紹介します。

 江戸城は、城門と枡形虎口の宝庫である。近世城郭の門と枡形を知りたかったら、まず江戸城へ行け! といいたいくらいだ。そんな江戸城の城門と枡形虎口について、以下何回かにわたって見所を紹介してみよう。

田安門〜典型的な近世の枡形虎口

田安門。奥に見える武道館や北の丸公園に向かう人たちが高麗門をくぐってゆく

 まずは、江戸城の北の守りである北の丸から。地下鉄の九段下駅を降りて北の丸にある武道館に向かう時、必ずくぐるのが田安門。江戸城の門としてより、むしろ武道館の入場口として有名かもしれないが、本来は江戸城北の丸の正面にあたる門だ。

 田安門は、高麗門と渡櫓門からなる典型的な近世城郭の枡形虎口である。このうち、渡櫓の部分は関東大震災で崩壊したのちに復元されたものだが、渡櫓の下の門の部分と高麗門は寛永13年(1636)の建築であることがわかっており、国の重要文化財に指定されている。江戸城に現存している城郭建築の多くは、宮内庁管轄(皇室財産)のため国の文化財に指定されていないが、北の丸は皇居敷地外となるため、田安門や次に紹介する清水門は重文指定を受けている。

高麗門と渡櫓門が直角に配された典型的な近世城郭の枡形である

 枡形の外側にあるのが高麗門。高麗門とは、門柱の後ろに控え柱を立てて、控え柱の上にも小さな屋根をかけた形式をいう。控え柱を立てるのは門柱が倒されないための強化策で、その上にも屋根をかけるのは、門扉が濡れないための工夫だ。

 なぜ、門扉を濡らしたくないかというと、門扉の表面(城外側)に鉄板が打ち付けてあるからで、要するに防弾板だ。防弾板が雨で濡れて錆びてしまっては困るから、屋根で保護しているわけである。

内側から見た高麗門。控え柱が門柱よりやや外側に位置しているのがわかる

 それがわかったら、今度は門を後側(城内側)から観察してみよう。控え柱は門柱より少し外側に立っていることがわかる。この方が踏ん張りがきくし、防弾装甲を施した門扉は分厚いので、こうしないと90度まで開かないからだ。

 次は渡櫓門。復元建物だが、見落としてほしくないポイントがある。枡形の4面のうち外側の面は高麗門、内側の1面は渡櫓門で、残る2面は現在は石垣だけだが、本来は石垣の上に土塀があって、守備兵が配置できるようになっていた。この守備兵が出入りするための引戸が、渡櫓の端に設けてある。これはぜひ、現地で確認してみよう。

渡櫓門(復元)に設けられた引き戸。枡形の石垣の上に出入りできるようになっている